安城市山崎町にある正法寺は、戦国時代に武田氏、北条氏、徳川氏に仕えた保科正直の館跡です。別名・保科城址。
■保科正直邸址の住所■
安城市山崎町大手
館跡の詳細
市指定史跡 保科正直邸址
保科正直は信濃国高遠(長野県伊那市)城主でした。武田氏に仕えましたが、武田氏が滅びると北条氏に帰属します。
1584年(天正一二)、小牧長久手の戦いのころ徳川家康につき、山崎村に領地を与えられ、その館跡が正法寺の境内地と伝わっています。
1590年(天正十八)、正直は、家康の関東移封に伴い下総国多胡(しもうさのくに たご:千葉県香取郡)に移りました。
安城市教育委員会
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保科正直邸址は館時代の遺構は残っていませんが、周辺の地形が城跡っぽくなってます。それが高低差です。東が低くなっており、田んぼと川がありますが、そこから見ると高台にあることが分かります。逆にいえば川に向かって台地が突き出ているという感じでしょうか。
正法寺自体も周辺から高くなっています。この高くなっている地形により、周辺を見渡す事ができるほか、館を守る防御にも適しています。保科正直邸址の所要時間は高低差見るくらいなので5~10分ほどです。私の感想ですが、遺構は残っていませんが高低差と地形が分かりやすいと思いました。