戦国時代にはいろんな城攻めが行われましたが、女性たちの活躍によって落城した城の話があります。それが愛知県安城市に残る安祥城です。
安祥城は安城松平氏(後の徳川氏)ゆかりの城です。しかし築城したのは松平氏ではなく、もともと安祥城は、畠山照久(熊谷直教とも)の居城でした。松平氏(徳川氏)は岡崎城を拠点としたのが有名ですが、もともとは現在の豊田市の山奥から発祥したといわれており、勢力拡大と共に平地へ侵出してきたのです。
今回紹介するオハナシは松平氏が安祥城を攻める時のエピソードで、徳川家康のはるか先祖・松平氏三代当主・信光の時代のこと。
堅固な安祥城
安祥城周辺は平地が広がり、米が多くとれる豊かな土地で、松平信光は安祥城と周辺を欲しくてたまりません。でも安祥城は平城なのですが、周辺を湿地帯みたいな沼地に囲まれた堅固な城でした。無理やり力で攻めれば、たとえ落とせたとしても死傷者を多く出してしまいます。
『なんとか被害を少なくして攻め落とせないものか?』松平信光は考え抜き、なんと城を少ない被害で攻め落とす妙案が浮かびました。
ある月夜。安祥城の西で若くてキレイな女性達が輪になって踊っていました。城兵達は気になり城を出て女性達の踊りを見に行きました。さらには城の中から武士達も鉦(かね)や太鼓を持って駆けつけ、女性たちを見に行ったのです。
その時!
松平勢が安祥城へ攻め入り、手薄となった城はたちまち落城。城主は降伏し、安祥城は松平氏のものとなりましたとさ。以上が地元に伝わる安祥城落城のオハナシですが、これとは別に女性ではなく【念仏踊り】で敵を引き付けたという話もあります。
ともあれ、松平信光が力攻めではなく何らかの策で安祥城を落としたらしく、こんなエピソードが残ったんですね。でも、城の任務忘れて踊る女性達が気になり、それが落城のキッカケになるとは…いつの時代もオトコは変わりません(^_^;)
現在、その安祥城は、城址公園になっています。井戸跡や遺構も残り、博物館もあって無料パンフも置いてありますので、是非チェックしてみましょう。