松平清康、広忠に反抗した桜井松平氏・松平信定の居城だった桜井城址

安城市の桜井城址(櫻井城址)は、松平氏の分家だった桜井松平氏・松平信定の居城跡です。徳川家の前身・松平氏は多数の分家がありましたが、その中でとりわけ宗家に反抗的だったのが桜井城を拠点にしていた桜井松平氏です。

■桜井城の住所■

安城市桜井町城阿原50

>>桜井城址の場所の地図

城主の松平信定とは

桜井松平氏の当主で桜井城主の松平信定は、宗家である安城松平氏に極めて反抗的だったといわれる家で、その中でも松平信定は歴史的にも有名です。ではどんな人物でどんな活躍をしたのか?ポイントをまとめてみました。

・安祥松平家の松平長親の三男として誕生

・叔父の養子に出され桜井城を築いて城主となる

・甥の松平清康に仕える

・享禄三年(1530)の宇利城(愛知県新城市)攻めに参加した時、不手際で兄の福釜松平家・親盛を助勢せず、戦死させた。これが本陣の清康の逆鱗に触れて合戦後に諸将の前で面罵されたという。

・天文四年(1535)松平清康の尾張遠征には参加せず。清康は守山において重臣・阿部定吉の嫡子の正豊により殺害される(森山崩れ)。

・その後、清康の居城の岡崎城を占領。松平家の宗家となる。清康の息子・広忠は伊勢国に逃れる。

・天文七年(1538)に信定は死去。 その後、桜井松平氏は松平元康(徳川家康)に従うようになる

これを見ると松平信定は松平家の宗家(分家を束ねるリーダー家)になりたかった感があったと思います。歴史的に見るとそれも叶わなかったのですが、そんな野望バリバリの松平信定の居城跡が安城市の桜井城址です。

そして城跡

桜井城址は現在、公園になっています。桜井城址だけに桜の名所にもなってます。

安城市教育委員会の案内看板。これにも松平信定のことが書かれていますね。

公園の両脇を見ると公園が少し高台にあることがわかります。この高低差も城の雰囲気を残しています。

公園の隣にある桜井松平氏の墓所。これも貴重な史跡です。私の感想ですが、桜井松平氏の松平信定はNHKの英雄たちの選択にも出てきた豪族です。その城跡なので、歴史的にも意味深いと思いました。

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