安城市安城町の安城古城址は安祥城の前身の城といわれています。歴史は古く平安時代からこの地の有力者の居館があった場所と考えられています。
■安城古城址の住所■
安城市安城町社口堂
現地案内看板
安城町社口堂の舌状台地の端に位置する居館跡です。平安時代には志貴庄(しきのしょう:荘園)の荘館があったとする説がありますが、詳しくはわかりません。鎌倉時代には地頭の館となり、安藤氏が居館としました。
室町時代は和田氏五代の本拠地となり、一四三八年(永享10)の永享の乱後、安祥城を築城し移転しったため、廃されるに至ったとする説があります。
また1540年(天文九)織田勢が安祥城を攻めたとき、松平側はここを前線基地のひとつとして兵をいれて戦ったとも伝えられています。
安城市教育委員会
看板の補足ですが、和田氏は安祥城を築いて移りましたが、後に松平氏三代目当主・松平信光が安祥城を奪って居城にします。この時、力攻めで奪い取るには堅固な城と判断したため、信光は奇策で城を落とします。
その後、尾張の織田氏が安祥城を攻めるのですが、その時に安城古城も砦みたいな軍事拠点になっており、織田と同盟を結んでいた刈谷城の水野軍が安城古城を攻めたといわれています。
周辺を見てみる
安城古城址は城時代の遺構みたいなものは残っていませんが、周辺を周ってみると高台にあることがわかります。これは西側から見た様子。
西側そして北側も高くなっていますね。私の感想ですがこの場所は城の中心の本丸部分なのか?別の曲輪なのかわかりませんが、安城古城は周辺からの高低差を意識した城だったのでしょう。所要時間は看板読んで高低差を確認するくいらいなので5分ほどです。