浅野文庫蔵諸国古城之図の安祥城を見ていると、城の東側に井戸が2つ記載されています。実はこの井戸、現在でも残っているんです。
かつて安祥城周辺は湿地帯で水が豊富な土地でもあり、周辺には七つ井と呼ばれる銘水の井戸がありました。
今回はこの七つ井の中でも浅野文庫蔵諸国古城之図に記載されている筒井と浅黄井(あさぎい)の場所と現物をチェックしてみましょう。
筒井の場所
まずは安祥城から東に伸びる街道沿いにある筒井。
これが現物。現地には安城市の説明看板が建っています。これによると子供の頃の徳川家康(当時は竹千代)は尾張の織田家の人質になっていましたが、人質交換で岡崎城に帰る途中、この筒井の水を持ち帰ったとか。
今ではコンクリートの井戸枠になっていますが、井戸の中を見ると未だに水が湧いています。
浅黄井の場所
そしてもうひとつの井戸が浅黄井(あさぎい)。筒井の近くにあり、浅黄井の側にある旧街道も残っています。
これが浅黄井。井戸は無くなっていますが石碑がありました。
また隣には古地図にある街道が残っています。
実は七つ井跡は残っている
今回紹介したのは浅野文庫蔵諸国古城之図に記載がある、安祥城近くの筒井と浅黄井ですが、この他5つの井戸跡も安祥城近くに残っています。
私の感想ですが、安祥城を訪れた時、これらの七つ井巡りもセットにすると、城巡りの満足度も上がると思います。特に筒井は徳川家康関連の史跡でもありますし。
あと周辺には本多忠勝の父や祖父の墓もあり、季節を選べば火縄銃イベントや安城歴史博物館でのマニアックな戦国関連の企画展もあるので、安祥城は城好き、戦国好きの方には楽しめる城だと思います。
>>安祥城周辺にあった七つ井を探してみた!場所と地図そして私の感想