安城市高木町の高木城址は徳川家康のもとで活躍した徳川十六神将に数えられている高木清秀ゆかりの地です。
■高木城址の住所■
安城市高木町
現地看板
高木氏は、室町時代に現在の安城市高木町一帯をもとにしていた一族と考えられます。高木清秀は、1526(大永六)に三河国牧内(現岡崎市大和町・東牧内町)に生まれました。
1563(永禄六)の三河一向一揆の際には、徳川家康に加勢した刈谷城主の水野元信の家臣として一揆鎮圧の功績をあげ、家康から先祖の土地(高木)を与えられました。
清秀は、1582(天正十)に家康と主従関係を結び、高木を含めた一千石の領地を得ることになります。その後、1590(天正十八)の家康の関東移封にともない、関東う地方に五千石を与えられてこの地を去りました。清秀の子正次は、河内国丹南藩(現大阪府松原市丹南)一万石の藩主となり、大名として明治維新まで続きました。
安城市教育委員会
これを読むだけでもなかなか活躍した人だな~と思いますが、実は看板に書いていない補足部分があるのです。それが以下の通り。
・徳川十六神将の一人
・水野信元に属し石瀬合戦で石川数正と7度にわたり槍を交えた
・三河一向一揆で一揆勢を相手に奮戦
・第三次伊勢長島攻めに出陣。一揆の主魁・盛林坊を討ち取った
※しかしこの合戦で嫡男・光秀を失っている。
・長篠の戦いで真田昌輝が鑓を合わせたという。
・佐久間信盛に従い対大坂だけでなく、松永攻め、有岡攻めにも活躍した
徳川四天王ほど華々しくない活躍でも、これ見る限りは有名な合戦にかなり出ており、もしかすると大河ドラマにも出そうな勢いの武将だな~と思います。
周辺の様子
高木城址周辺には平地が広がっています。もしここを拠点に村をいくつか領有していれば、かなり米が採れた土地だなと思いました。私の感想ですが、高木清秀は歴史ドラマではあまり出ませんが、徳川家康を支えた三河武士として重要な武将だと思います。そのゆかりの地が安城市高木城址なのです。所要時間は5分くらいなので、近くの城跡や史跡と訪れるとよいです。
墓所は岡崎市妙源寺
高木清秀の墓所は岡崎市妙源寺にあります。車で訪れるならセットで巡ることもできます。