安城市福釜(ふかま)町は、福釜松平家が城を築いて拠点にした地です。福釜松平家は松平五代当主・松平長親の次男・親盛を祖とした家で松平家一族でも創立は後のほうです。
福釜城址
福釜松平氏の拠点だった福釜城は現在の安城市福釜町蔵前あたりにあったといわれています。現在は開発が進み城跡の遺構は残っていません。南の長田川から緩やかに上って台地になり西と北は田んぼなので東から伸びた舌状台地という印象です。
菩提寺・宝泉院
福釜松平初代当主・松平親盛(ちかもり)が、永正十二年(1515)に建立した福釜松平家の菩提寺です。浄土宗の寺で正式には清流山宝泉院良心寺(せいりゅうざん ほうせんいん りょうしんじ)。墓地に松平五代の墓がありますが、これは移転してきたもので別の場所にありました。
かつて福釜松平家の墓所は宝泉院から西に200mほど離れた通称・『殿さん墓地』にありました。宝泉院の道路を挟んだ向かい側に福釜城主松平家榮地(栄地)と刻まれた石碑がありましたが、それは福釜城の石碑ではなく、墓地への案内石碑。横に『是ヨリ一丁余』(ここから100mほど)と刻まれていました。現在は墓地も宝泉院に移転したので石碑もありません。
かつての福釜松平家の墓地・殿さん墓地は今でもいくつかの墓が残っています。でも福釜松平家の墓碑は宝泉院に移してあります。
福釜の地名の由来
福釜の地名の由来になった場所が現在の釜ヶ淵(かまがふち)です。昔ここは淵になっており、土の中から金の釜が吹き出して『吹釜』となり、それが『福釜』に転じたとか。この逸話は地元では根強く信じられており、石碑も建っています。
私の福釜城の感想ですが、城跡は消滅していても城主の墓がある菩提寺・宝泉院や地名の由来の釜ヶ淵などとセットで巡ることが出来て楽しかったです。