愛知県長久手市の長久手古戦場公園は、かつての長久手古戦場に作られた公園で、資料館もあり、長久手市の史跡巡りや城巡りの拠点にできる場所です。
長久手合戦の史跡を巡りたい!と思ったら、まず立ち寄りたいのが長久手古戦場公園です。では見どころをチェックしてみましょう!
アクセス
長久手古戦場公園のアクセスを説明します。ま公共交通機関でのアクセスは、リニモの長久手古戦場駅が最寄り駅です。この駅から徒歩5分で公園に着きます。
また車での行き方ですが、まずはカーナビで長久手古戦場公園と検索すると出てくると思います。ロードマップで行く場合は、長久手古戦場公園の住所をチェックして行くと良いです。公園内に無料駐車場があります。
●長久手古戦場公園の住所●
長久手市武蔵塚204
桜の名所です
では公園内に入ってみましょう。中に資料館もありますが、資料館周辺にもチェックしておきたい史跡があります。
勝入塚
池田恒興が討死したといわれる場所に築かれた勝入(しょうにゅう)塚。恒興は天正八年(1580)に入道し勝入斎と名乗ったので、塚の名前もこの法名になりました。
恒興は美濃大垣城主で、小牧長久手合戦では羽柴秀吉に味方しました。
小牧山(小牧市)と楽田(犬山市)で家康と秀吉が対峙し、合戦が膠着状態になった時、家康の本拠地である岡崎城攻めを秀吉に進言し。自ら軍を率いて岡崎城に向けて侵攻します。
しかし途中の岩崎城(日進市)を攻めてしまい、その間に家康から追撃を受け、そのまま長久手合戦となり、恒興は討死してしまいます。
ちなみに恒興を討ちとったのは、愛知県碧南市ゆかりの武将・永井直勝です。
庄九郎塚
池田恒興の長男で、池田輝政の兄である池田之助(ゆきすけ)が討死した場所に建立された庄九郎(しょうくろう)塚。幼名の庄九郎にちなんでこの名が付けられました。
之助は当時岐阜城主で、父・恒興や義兄・森長可と共に岡崎城に向かっていましたが、長久手合戦で最後を迎えました。
この庄九郎塚は古戦場公園の裏手にあり、目立たない場所なのでスルーしがちですが、ここもシッカリチェックしておきましょう。
そして資料館
周辺を一通りチェックしたら資料館にも入ってみましょう。休館日と料金、そして開館時間は以下の通りです。
■休館日■ 月曜日(※祝日の場合は翌平日)
■入館料■ 無料
■開館時間■ 9時~17時(入館は16寺30分まで)
館内には長久手合戦の事を説明したパネルや展示物がたくさんあります。戦いの流れは知っていても、詳細をここでチェックすると良いでしょう。館内には喫茶店もあるので、一息ついたり史跡巡りの作戦会議もできますねw
こちらは2階。棒の手や甲冑、そして火縄銃の展示があります。
私の感想
私の長久手古戦場公園と資料館の感想ですが、ここは長久手市と周辺の城や史跡を巡る時に拠点にできるので、近くまで来たら立ち寄っておくことをオススメします。
また受付窓口付近に資料や本も販売しているので、興味があるものはこれもチェックしておきたいですね。あと長久手古戦場資料館にはレンタサイクルもあるんです。
資料館周辺の史跡ならレンタサイクルで巡るのが便利です。その理由は車で巡る時と違い、駐車場を気にすることがないからです。
多少の登り下りはありますが、それもかつての古戦場の地形や高低差と思って巡ってみると、これも楽しいものですね。身分証の提示が必要なので、レンタサイクルを借りる時にはお忘れなく!