長久手市の桧ヶ根(ひのきがね)公園は、天正十二年(1584)の長久手合戦の時、堀久太郎秀政が本陣を置いた場所です。
■桧ヶ根公園の場所の住所■
長久手市坊の後113
なぜここに?
岡崎城へ向かう途中だった羽柴軍の別動隊。途中の岩崎城を落とした後、休憩していたのですが、その時に徳川家康の奇襲を受け大将だった三好秀次(羽柴秀次、後の豊臣秀次)本体が壊滅。
- 第一隊・池田恒興
- 第二隊・森長可
- 第三隊・堀秀政
三将は体制を整えて長久手(現在の長久手市)に布陣します。
羽柴軍の大将・三好秀次軍を白山林で壊滅させた徳川軍の大須賀康高・榊原康政軍は、勢いに乗り堀秀政軍を攻撃しますが…
堀秀政は【名人・久太郎】といわれるほどの戦上手。大須賀康高・榊原康政軍を返り討ちにします。
しかし徳川家康が色金山に布陣し、金扇の馬印が立てられた時、堀秀政は家康が到着しては形勢不利と思い、池田恒興と森長可の援軍要請を断ってすぐさま退却しています。
結果、羽柴軍の池田恒興と森長可は討死。長久手合戦は徳川軍の勝利で終わりました。
陣跡へのアクセス方法
そんな堀秀政が陣を置いた桧ヶ根本陣跡は、長久手市の看板と石碑が建っています。陣跡の行き方ですが、陣跡は桧ヶ根公園にあります。桧ヶ根公園は長久手市図書館の隣なので、カーナビで行く時もロードマップで行く時も長久手図書館を目指して行けば、その隣にある桧ヶ根公園が堀秀政の陣跡です。
石碑にハッキリと刻まれた堀久太郎秀政本陣地の文字。周辺は開発が進んで住宅地なのですが、かつてここに堀秀政が陣を置いたのであろうという石碑です。
歩道橋に上がると…
また石碑だけ見て満足せずに近くの歩道橋に上がってみましょう。するとこの桧ヶ根公園が高台にあり、周辺を見渡すことができる場所という事が分かります。
徳川家康が金扇の馬標(うまじるし)を立てた御旗山です。
こちらは南側の風景。かなり遠くまで見渡せますね。合戦時には、高い場所に陣を置くと2つのメリットがあります。
ひとつは周辺を見渡すことができるという事。ふたつ目は敵が攻めてきた時、敵より高い場所にいるので防戦しやすいという事です。
また高台は井戸などの水の手が無い場合もあるのですが、水を確保できるなら持久戦に持ち込むことも可能ですね。長久手市は平成になり急速に開発が進んで、元の地形がよく分からない場所もあるのですが、高低差などあまり変わっていない場所も多いと思います。この高台から、長久手合戦時の様子を想像してみるのも良いですね。