徳川家康と池田恒興らの長久手合戦で有名な愛知県長久手市の市役所には、岩作城址(やざこじょうし)という石碑が建立されています。
※岩作の読みは やざこ
実は長久手市役所は城跡だったのです。岩作城とはどんな城だったのか?そして城主はどんな人物だったのかをチェックしてみましょう!
■岩作城跡(長久手市役所)の住所
長久手市岩作城の内60番地1
城主について
岩作城の城主は今井五郎大夫、今井四郎兵衛という人物が記録に残っています。昭和六十年の発掘調査で、岩作城は室町時代前半(十四世紀後半)に築城されたことは分かっていますが、その他は謎です。
また城と言っても石垣や天守があったのではなく、この地域の有力者・今井氏の居館周辺に堀と土塁を巡らせた、館城というタイプのものだったと思われます。
あと分かっていることは、城主の今井氏は天正十二年(1584)年の小牧・長久手の合戦で徳川方に加わり、岩崎城(日進市)の防衛に参戦し討ち死にしています。岩作城はその時落城しましたが、落城後も居館としての形態は保たれていたようです。
近くには岩作西城址も!
また近くには岩作西城(やざこにしじょう)という城もありました。現在の長久手市岩作籔田辺りです。この岩作西城の城主は鈴村権八という人物ですが、この人がどういった人なのか?また岩作西城はどんな歴史があるのか?ということは謎です。現在は民家と田んぼになっており、城の遺構らしきものは全く残っていません。
■岩作西城跡の住所
長久手市岩作籔田
私の感想
私の岩作城跡、岩作城西跡の感想ですが、遺構や歴史はよくわからないものの、中世、戦国時代にこの地に勢力を持っていた有力者がいたという事を確認できて面白かったと思います。
愛知県には城址として調査されているものが約2,200以上あります。長久手市役所にあった岩作城跡、そして近くの岩作城西城跡もそれらに含まれるのですが、研究されることで地域の戦国史が分かってくるのでしょう。謎ばかりの岩作城、岩作西城ですが、今後の研究に期待したいと思います。