愛知県長久手市にある血の池公園は、天正十二年(1584)の長久手合戦にゆかりがある公園です。
■血の池公園の場所の住所■
長久手市城屋敷403
長久手合戦では、羽柴軍と徳川軍が激しくぶつかり合うという大乱戦になりました。結果、徳川軍が勝利し、羽柴軍は池田恒興、池田元助(恒興の長男)森長可が討死したのですが、その他にも多くの将兵が現在の長久手市で亡くなりました。そして合戦後、血の付いた刀や槍を洗ったのが、この地の池公園にあった池といわれています。
池はどこにあった?
血の池公園といっても、どこにも池はありません。そこで明治三十三年(1900年)頃の古地図を現代の住宅地図に照らし合わせると池が出ました。それがこの場所!
なんと公園内のグラウンドです。血が付いた刀や槍をそのままにしておくと、錆びるのが早くなるので、血を除去するために池の水で洗ったのでしょう。桶狭間古戦場にも合戦後に刀を洗ったといわれる池が残されていますし、長篠古戦場には討ち取った首を洗った首洗いの池もあります。
鎧掛けの松
これは血の池公園にある鎧掛けの松。池で刀や槍を洗う時、将兵たちが鎧(甲冑)をこの松にかけて洗ったといわれています。残念ながら戦国時代から続く松ではなく3代目の松。マツクイムシによって枯れてしまったそうな。
私の血の池公園の感想ですが、長久手合戦は全国的に知られていますが、この血の池公園は郷土史レベルのマイナーな史跡なので、長久手古戦場を訪れた時にはチェックしておくことをオススメします。ただ周辺は整備された観静な住宅地なので、迷路みたいになっており、初めて来るときに道に迷いやすいです。
そんな時は記事の最初に貼っておいた住所と地図を参照に訪れてみるのも良いでしょう。ちなみに長久手市交通児童遊園の隣です。あと場所的に加藤忠景の長久手城址も近いので、セットで訪れるのも良いですね。