長久手合戦戦死者供養の地蔵が建つ加藤忠景の長久手城址

長久手市の長久手城址は天正十二年(1584)に起こった小牧・長久手合戦の時、岩崎城に籠城して亡くなった加藤忠景の居城跡です。

■長久手城の住所

長久手市城屋敷2408

>>長久手城址の地図

加藤忠景は戦国時代、この地に勢力を持っていた豪族で、妻は岩崎城主・丹羽氏次の姉。つまり岩崎城主・丹羽氏次は義理の弟ということです。

勢力は丹羽氏のほうが大きかったのか、小牧・長久手合戦では小牧山に出陣していた氏次に代わり、氏重(氏次の弟)と共に岩崎城を守りました。

しかし池田恒興らに攻められ岩崎城は落城し、忠景も討死。城主を失った長久手城はその後、廃城になったようです。

近くにある城屋敷の地名。長久手城が由来になってます。

長久手城の現状は地蔵堂と空き地。その隅に加藤忠景の居城だった事を偲ばせる石碑があります。

長久手合戦で亡くなった人達を供養するために建立された地蔵。古いものではありません。隣に地蔵建立の理由が書かれた石版もあります。

私の感想ですが、長久手城址は城の遺構は残っていないものの、石碑や案内板(石版)もあるので城址という事を確認できます。

また近くには血の池公園や少し歩けば古戦場公園などもあるので、セットで訪れるのが良いです。

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