柴田勝家の家臣・毛受勝助家照(勝照)の銅像が尾張旭市に建つ理由

尾張旭市東大道町にある、尾張旭市文化会館の前に戦国武将の銅像が建っています。この人は柴田勝家の家臣・毛受家照(勝照)です。

■毛受家照(勝照)の銅像の場所の住所■

張旭市東大道町山の内2410

>>毛受家照(勝照)の銅像の場所の地図

どんな活躍をした人なのか?簡単に説明します。もとは荘介といい、十二歳で柴田勝家に小姓として仕え、各地を転戦し戦功を建てますが、元亀二年(1571)の長島一向一揆の時に頭角を現し始めます。

この戦で敵の一揆方に勝家の戦標(馬印)が奪われてしまうという事があったのですが、荘介はこれを恥と思い敵方に突撃し、戦標を取り戻したのです。

この時の功により、勝家から偏諱を与えられる事になり、勝家の【勝】【家】の二字を与えられ、照と名乗らせたといわれます。

後の天正十一年(1583)、羽柴秀吉と柴田勝家が戦った賤ヶ岳合戦では、退却する勝家の身代わりになって奮戦し、討ちとられてしまいます。享年29。

な勝照の銅像が尾張旭市文化会館の前にあるのかという理由ですが、勝照の出身が尾張国春日井郡稲葉村(現在の尾張旭市稲場町)ということで、市民が利用する文化会館の前に銅像が建っているのですね。

愛知県ではあまり知られていない戦国武将ですが、滋賀県長浜市の賤ヶ岳古戦場には、彼が兄弟と共に討死した場所が残されており、地元の方々が整備・供養されています。

ところで銅像の台座をよく見ると、中曽根康弘書と書いてあります。そう、この人は中曽根康弘元総理です。なぜ中曽根さんの書がここにあるのか?理由はよく分かりませんが、銅像と共にチェックしておきたいポイントでもあります。

私の感想ですが、毛受家照(勝照)はマイナーな武将の部類に入ると思いますが、こうして銅像が建つことにより、知らない人にも知られて顕彰できると思います。銅像は高価ですが、尾張旭市にも戦国武将がいたという事で、地元の方の認知も大きくなるでしょう。

また刈谷市の水野勝成も、もとはマイナーな武将でしたが、現在では刈谷市の観光で取り上げられてユルキャラもできています。毛受家照(勝照)も何かがキッカケで、人気がブレイクする可能性もあるかもしれません。

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