愛知県知多郡武豊町には、3つの城跡が残っています。それが長尾城址、岩田氏館跡、富貴城址です。これら3つの城跡は天守も石垣も無く、それこそ城跡なのですが、どんな歴史があり現状はどうなっているのか?まとめてチェックしてみたいと思います。
長尾城跡
■住所■
知多郡武豊町金下8−11
長尾城は鎌倉時代に築かれた城で、この地に勢力を持っていた岩田氏の居城でした。戦国時代に今川氏が三河、知多に侵出してくると、岩田氏は今川氏に付くのですが、織田氏の同盟者である水野氏によって滅ぼされてしまいます。
城跡の場所は武豊町立武豊小学校の東南にある藪。現在はJR東海の社有地になっており、中に入ることはできません。でも外側から見ると、高台になっていることが分かり、曲輪みたいな柵平地もチラッと見えます。
岩田氏館跡
■住所■
知多郡武豊町上ケ8
長尾城跡の北にある武雄神社が長尾城主・岩田氏の館跡といわれる場所です。かつては月詠みの森(つきよみのもり)と呼ばれた月の名所だったとか。現状は神社で館時代の遺構は残っていません。
富貴城
■住所■
武豊町冨貴郷北101
富貴(ふき)城は長尾城の支城として岩田氏が築いた城ですが、岩田氏の衰退後、河和(美浜町)まで進出してきた渥美半島の戸田氏が奪い、水野氏に備えて改修したという歴史が残っています。富貴城跡の場所は富貴郷北にある白山神社と、隣の円観寺を含む一帯です。
白山神社は周辺より高台になっています。藪に覆われていますが、もし藪が無いと周辺を見渡すことができる高台だったことが分かります。
白山神社と隣にある円観寺の周辺をよく見てみると、土塁らしきものも残っています。
室町時代後期に長尾城主岩田氏が築いた。戦国時代に入って、戸田法雲が城主となり、館を城北の東大高字光明寺付近に建てたので大高殿とも呼ばれ、城の名前も古書には大高城と書かれている。
武豊町教育委員会
円観寺にある看板。富貴城と戸田氏の事が書いてあります。これによれば古書には大高城の別名もあった様です。
私の感想
私の武豊町の城跡の感想ですが、富貴城は程よく遺構と雰囲気が残り巡ってみる価値はあると思います。また富貴城の本城が長尾城なので、中に入ることはできない長尾城とセットで訪れてみましょう。
武豊町の城跡は主にこの3つなので、近隣の半田市や美浜町、南知多町の城跡とセットにすると1日近く城巡りを楽しめると思います。