半田市岩滑(やなべ)中町の矢勝川(やかつがわ)は毎年9月になると川沿いが彼岸花スポットになり、多くの観光客が訪れます。
しかしこの矢勝川のすぐ南が城跡だったということはあまり知られていません。その城跡と城主、そして城の歴史をチェックしてみましょう!
城跡は常福院
矢勝川の南にある常福院(じょうふくいん)境内、もしくはその西側一体が城跡といわれています。城の名前は岩滑城。
■常福院の場所の住所
半田市岩滑中町7丁目23
岩滑城の築城は榊原主殿(とのも)という人物で、【張州府志】という江戸時代の記録によれば、戦国時代は中山刑部大輔勝時(なかやま ぎょうぶだいゆう かつとき)が居城したとあります。
この中山刑部大輔勝時という人は緒川城(現在の東浦町)主・水野忠政の娘婿。この岩滑城のほか、現在の半田市周辺にいくつか城を持っていた土豪でした。
ごんぎつねに出てくる戦国武将?
ちなみに中山氏は、半田市出身の童話作家・新美南吉の作品であるごんぎつねに出てくる人物です。ごんぎつねの冒頭に次の様な文章があります。
この中山さまという人物が中山氏です。ただ中山刑部大輔勝時本人ではないかもしれませんし、中山氏も岩滑城以外にも城があったので、必ずしも岩滑城ではないかもしれません。
ただこの周辺では有名な戦国武将、領主だったのでしょう。
城跡は現在
城の遺構はほぼ残っていませんが、チェックしておきたいものがいくつかあります。まずは手水鉢(ちょうずばち)。参拝する時に手を洗う場所ですね。ここに常福院の山号である甲城山という文字が刻まれています。
常福院は永禄年間(1558~70)に開山した寺ですが、その時に中山氏の家老によって寄進されたといわれるソテツがあります。現在では半田市指定の保存樹木です。
城跡と高低差
あと楽しめるものは城跡の高低差ですね。常福院の北側をながれる矢勝川には、今だから堤防がありますが、その堤防がなければかなり大きな川でした。現在の住宅地図と国土地理院の地形図を使ってもとの地形を比較してみます。
上が現在の住宅地図。下が国土地理院の地形図。これを見ると常福院(岩滑城)は台地の先端にあり、北側は川というより谷だったという事がわかります。
今では埋め立てられて田んぼや住宅地になっていますが、北側を見ると高台が残っていますので、この高低差も城の地形を偲ぶ材料のひとつです。
矢勝川沿いにある、ででむし広場。新美南吉の童話「でんでんむしのかなしみ」という作品をテーマにした公園です。
私の感想
私の岩滑城跡の感想ですが、城も小さく城主もあまり有名ではありませんが、郷土史レベルの戦国の城ということで、高低差や小ネタで楽しめると思いました。
岩滑城を巡る所要時間は、矢勝川沿いのヒガンバナを眺めて歩くのをセットにしても30分くらいでしょう。
この近くには阿久比町の坂部城もありますし、西に行けば知多市の大草城、常滑市の大野城もあるので、周辺の城をセットで巡るのが良いと思います。