名古屋市千種区の覚王山日泰寺(かくおうざん にったいじ)のすぐ側に四観音道という、江戸時代の街道跡が残っています。これはかつて尾張四観音のうち、笠寺観音(名古屋市南区)と龍泉寺観音(名古屋市守山区)を結んだ街道です。
尾張四観音とは何?
尾張四観音とは、江戸時代初期に徳川家康によって名古屋城が築かれた時、名古屋城の鬼門を守る四方向にあった以下の寺です。
・荒子観音(名古屋市中川区)
・甚目寺観音(あま市)
・龍泉寺観音(名古屋市守山区)
・笠寺観音(名古屋市南区)
江戸時代にはこれら尾張四観音を歩いて巡る、四観音詣(しかんのんもうで)が庶民に人気があり、笠寺観音(名古屋市南区)と龍泉寺観音(名古屋市守山区)を結んだ四観音道が名古屋市千種区に残っているのです。
看板もある
覚王山日泰寺のすぐ側に四観音道についての解説看板も建っています。ちなみに四観音道は4つの寺を環状線の様に結んだ道という訳ではなく、途中から他の街道(塩付街道とか)を利用して次の寺へ行ったりできる仕組みになっていました。
残る地名
覚王山日泰寺周辺を見てみると、四観音道に関する地名が残っている事に気付きます。覚王山日泰寺の北に名古屋市千種区田代町がありますが、そこに四観音道西、四観音道東という地名があるのです。また田代町には四観音道西公園があります。これもゆかりの地名です。
私の感想
私が四観音道に興味が向いた理由は名古屋城検定でした。名古屋城検定は名古屋城に関する問題が出るのですが、面白いのは愛知県のいろんな場所に話が飛ぶからです。その名古屋城検定に尾張四観音の問題がよく出るので、調べていくうちに今回の四観音道に結びつきました。
案内看板にもあるように、尾張四観音を結ぶ四観音道には諸説がありますが、こうして一部でも残っているのは貴重だと思います。ちなみに覚王山日泰寺は、かつて織田信長の弟・織田信行(織田信勝)の居城だった末森城跡が近くにあるので、城巡りついでにここもセットで立ち寄る事ができると思います。