高低差が楽しめる佐久間盛政の居城跡の名古屋市昭和区伊勝城址

名古屋市昭和区の伊勝城址は天正十一年(1583)の賤ヶ岳の戦いで柴田勝家とともに羽柴軍と戦った佐久間盛政の居城跡です。佐久間盛政の通称は玄蕃允(げんばのじょう)で、小説などでは佐久間玄蕃(さくまげんば)の名で出てくることも多いです。

盛政の母が柴田勝家なので、勝家からみれば盛政は甥にあたります。盛政は後に御器所西城を築いて移ったので伊勝城は廃城になりました。

■伊勝城址の住所■

名古屋市昭和区伊勝町

>>伊勝城址の場所の地図

ポイントは高低差

伊勝城址は宝珠院になっており遺構は残っていません。でも私の感想ですが、伊勝城址を楽しむポイントは高低差だと思います。その理由は南北から見ると台地上にあったことが分かる高低差だからです。まず伊勝城址の南、現在の伊勝八幡宮から伊勝城方面を見ると坂を上がって城へと行きます。南側が下がっているということです。

今度は反対側の北側に周ると、こちら側も上がっているのがよく分かります。台地上つまり山の頂上みたいな場所にあったワケです。伊勝城址の宝珠院周辺は住宅地になっており、マンションや高い建物がたくさんあります。でも当時、これらの建物が無かったと想像すると、周辺をかなり広範囲で見渡せたのかなと思います。

地理院地図(電子国土web)で伊勝城址の地形を確認すると独立した様な台地の上にあることが分かります。この高低差も伊勝城址のポイントですね。遺構が残っていなくても高低差を楽しめる佐久間盛政の伊勝城址でした。

盛政の墓が西尾市にある!

ちなみに伊勝城主だった佐久間盛政の墓といわれる索麻塚(さくまづか)が西尾市吉良町の海蔵寺にあります。刀で切られた様な形をしているのにも理由があって、西尾市でも知る人ぞ知る史跡です。

>>海蔵寺の索麻塚レビュー

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