永正年間に築かれた伊庭氏の居城で戸田宗光が奪った豊橋市大崎城址

豊橋市大崎城址は伊庭氏が永正年間(1504~21)に築き、その後、渥美半島に勢力を伸ばした戸田宗光の居城です。現在は海雲山龍源寺と幸福稲荷社一帯が城跡になっています。

■大崎城址の住所■

豊橋市船渡町城戸中

>>大崎城址の場所の地図

今川と戸田

大崎城は永正年間(1504~20)伊庭藤太の居城でしたが、後に田原の戸田氏勢力の城となり、幕末の頃には大崎陣屋となった城跡です。田原城の戸田宗光は、隣の宝飯郡の混乱に乗じて二連木城を築き、渥美郡の完全掌握を目論みます。この時、今川方の船形山城を落城させるなど勢いに乗った戸田氏でしたが、すぐに今川氏の反撃に遭い宗光は討死してしまいます。

これに懲りたのかその後戸田氏は今川氏と結び、ライバル的存在だった今橋城の牧野古白を攻め、今橋城主となります。しかし永正十六年(1519)、今度は牧野古白の遺児・成三、信成兄弟が今川氏の援軍を受け、今橋城を攻め落城させてしまいます。この時、城主だった戸田宣成は戸田氏の本城・田原城へと逃げ延びましたが、田原城も攻められると思い対抗する意味で築かれたのが大崎城でした。

前述した様に、この地には伊庭氏がすでにおり、伊庭氏を追い出したのか、味方に取り込んだのかは不明ですが、戸田氏が大崎城に入城しています。関ケ原合戦後の慶長六年(1601)、旗本・中島与五郎重好が6百7石で入封し、幕末には1千40石の陣屋となりました。

龍源寺

海雲山龍源寺に入ると右手の地蔵堂横に大崎城址の碑がありますが、その裏に大崎城の歴史が簡単に書かれています。

幸福稲荷社

大崎城址のメインは幸福稲荷社のほうで、ここには見どころがギュッと詰まっています。ちなみにここは二の丸です。

南陵中校区健全育成の大崎城の空堀看板。近くには豊橋市立大崎小学校があります。学校の課外授業で訪れることもあるのでしょうか。

幸福稲荷社本殿横には土塁が残っています。このすぐ外側(西側)は海です。

個人的に大崎城址最大の見どころは幸福稲荷社横に残る堀跡だと思います。幕末には陣屋になっていますので廃城になって150年以上経ってますが、未だに深い堀を実感できます。あと土質なのでしょうか?滑りやすく、すごく登りづらい堀です。

堀を抜けると大きな川があります。明治時代の古地図を見ると、目の前の森みたいな場所はかつての海で、埋め立てられていることが分かります。西側を海で防御した城です。

大崎城址の縄張りは連郭式(れんかくしき)といって、本丸、二の丸、三の丸を縦一列に並べたダンゴみたいな形をしています。幸福稲荷社の先にも曲輪みたいな削平地があり、幸福稲荷社から見ると低くなっています。

本丸も見所あり!

幸福稲荷社から見ると海雲山龍源寺側が本丸です。ここには土橋が残っています。この土橋を抜けて本丸です。

本丸に残る井戸跡。この井戸跡は愛知県教育委員会発行の愛知県中世城館跡調査報告Ⅲ東三河にも記載がある井戸跡です。

所要時間と私の感想

大崎城址の所要時間ですが、堀を見て周辺をグルっと周って約30分くらいです。私の感想ですが、最大の見所は幸福稲荷社の堀跡で、この堀跡はジックリ見学する価値は大きいと思います。また戦国時代に渥美半島に勢力を広げた戸田氏、またそれ以前の伊庭氏など郷土史が楽しめる城だとも思います。

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