田原市山田町の吉祥山泉福寺は天正十年(1582)の本能寺の変後、伊賀越えで三河に着いた徳川家康が埋蔵金を埋めたという伝説があります。天台宗の寺院。
自然すぎる参道
泉福寺への参道は三河湾国定公園になっています。そう言えば聞こえは良いのですが砂利の道が続いているのです。一応、車道ではあるのですが道が悪くパンクも怖いので途中に車を止めて徒歩で登りました。
吉祥山泉福寺は、天台宗の古刹です。創建年代は不明ですが、天平15(743)年観音比丘尼菊本(渥美重国の娘)が開山との伝承があります。
平安時代から鎌倉時代にかけては比叡山延暦寺の直末寺として、この地方の天台宗寺院の中核をなしていました。
江戸時代には、徳川家康から寺領安堵の朱印状が下され、二代秀忠が鷹狩りの際に宿泊所とするなど、渥美半島でも歴史のある寺の一つでした。
しかしながら昭和37年(1962)の火災により、本堂、庫裏、一部の仏像などが焼失しました。現在の本堂は昭和47年に再建されたものです。
古い歴史をもつ泉福寺には、仏像をはじめとする数多くの文化財が所在しています。
平成17年10月 田原市教育委員会
駐車場はあるのですがここまで車で来れなかった…
そして境内
ふもとからの所要時間は15分ほどで境内に着きました。泉福寺は東海七福神(とうかいしちふくじん)のひとつ、大黒天を祀っています。
墓所周辺は発掘調査により中世の墳墓が出土しています。歴史ある寺ですから地域の有力者が埋葬されていたのでしょうか?
泉福寺の埋蔵金伝説
天正十年(1582)に起きた本能寺の変後、徳川家康は伊賀越えで三河に向かい渥美半島に上陸したといわれています。その時、境内に軍資金を隠しました。その場所を伝える歌が以下のものです。
私の感想ですが、この歌だけだとよくわかりませんが、泉福寺は山岳地帯なので埋蔵金を埋めることができそうな場所はたくさんありそうです。