田原市の田原城跡は、戦国時代の戸田氏の居城。江戸時代では渡辺崋山(わたなべかざん)で有名な田原藩の拠点になった城です。
渥美半島の名城ともいえる田原市の田原城跡は、現在、田原市博物館と周辺の住宅地になっています。でもよく見てみると、史跡が多く残り見応えがある城址なんです。この記事では田原城址に行った時のポイントをまとめてみました。
■田原城の住所■
田原市田原町巴江11−1
田原城の行き方
田原城へのアクセス方法を説明します。まずは電車編。電車で田原城へ行く場合は、最寄り駅の三河田原城を目指します。三河田原城へ着いたら後は徒歩で城跡に向かいます。所要時間は約10分くらいです。
次に車で田原城へアクセスする方法ですが、カーナビで田原市博物館と検索すると出てくると思います。駐車場は無料です。電車、車も詳しいアクセス方法は以下にまとめてあります。
>>電車と車で三河田原城跡へのアクセス方法と駐車場の場所と料金について
二の丸と三の丸
田原城のポイントを見てみましょう。まずは車で来た時に利用する駐車場ですが、この駐車場はかつての堀跡である蓮池跡です。埋め立てられて駐車場になっています。
駐車場から城内に上がっていく道がありますがここも堀跡。
途中に井戸跡もあるので要チェック!ですね。
堀跡を出たところが田原城の二の丸と三の丸です。まず二の丸は田原市博物館になっています。ここは有料施設ですが、櫓内の資料室は無料です。櫓内のほうは田原城のジオラマのほか、パネル展示や甲冑などがあります。
三の丸は護国神社になっています。ここも人工的な削平地ですが、曲輪当時のものなのか神社造成時のものなのかは微妙…
三の丸の護国神社奥には堀跡が残っています。本丸に向かって登っていく地形に残された見ごたえがある堀です。
残る堀跡
駐車場の堀跡は埋められていますが、残っている水堀もあります。これは袖池。ちょうど大手門の横にある堀です。
この袖池の横に城門があります。
そして本丸
本丸は巴江神社になっています。ここが田原城の中心地でした。現在神社ですが、この本丸跡もチェックしておきたいものがあります。
それがこの土塁。本丸の西側に残っています。本丸の奥に富多満瑠稲荷(ふたまるいなり)社ふがありますが、その御社も土塁の上に建っています。
本丸の背後にある藤田曲輪
本丸の背後には、かつて本丸を後ろから守っていた藤田曲輪がありました。当時は高台だったらしいですが、現在では地形も削られてしまっており、小さな公園みたいな場所に藤田曲輪を偲ばせる展示があります。藤田丸の由来は、田原城築城以前にこの地に住んでいた土豪・藤田氏に由来したものだとか。
また藤田丸にちなんだ次の様なエピソードが残されています。寛文四年(1664)、当時の城主・戸田忠昌が天草に転封になる時、『この地を去るのはいたしかたないが、鯖の刺身と藤田丸からの眺めは捨てがたい』といって去ったといいます。この事から、この藤田丸は防御施設だけではなく、風流を楽しむ場所でもあったのでしょう。
外郭の貴重な土塁
本丸西側に土塁が残っているのは説明しましたが、それ以外にも外郭の土塁が残っています。渡辺崋山を祭った崋山神社の西側にも外郭の土塁が残っています。そしてこの土塁の横にある道になっている部分が堀跡です。
そして高低差
田原城は南側以外から見ると高台になっている事が分かります。これは東側から田原城本丸の巴江神社を見た画像。高台になっているのがよく分かりますね。この画像から田原城は平城ではなく平山城だった事が分かります。
所要時間と私の感想
田原城の所要時間ですが、資料館を含めて約1時間30分くらいで一通り周ることができると思います。また車で来た場合、近くに田原城主・戸田氏の菩提寺の長興寺もあるので、田原城の周辺史跡とセットで訪れるのがオススメです。
そして私の田原城の感想ですが、田原城は隅々まで見ると、意外と遺構が残っておりおすすめだと思いました。また幕末に活躍した渡辺崋山は、NHK大河ドラマに取り上げられてもおかしくない波乱万丈の人生を送った人物です。渡辺崋山については、二の丸にある田原市博物館に詳しい展示がありますし、崋山神社は彼を祭った神社なので、地元で親しまれている様子がよく分かります。