清須市の正覚寺は、織田信長が建てた今川義元の供養塔(今川塚)が残る寺です。
■正覚寺の住所■
清須市須ケ口332
正覚寺の創建は関ヶ原合戦後の慶長八年(1603)、清洲城主・松平忠吉(徳川家康4男)が生母である宝台院の菩提を弔う為に開いたのが始まりと伝えられています。
今川塚はもともと別の場所にあって、平成十九年に正覚寺に移されました。
これが今川塚。
永禄三年(1560)の桶狭間合戦で織田信長は、今川義元を討ち取りました。
【信長公記】によると、清洲城外の須ケ口(すかぐち)に義元塚を築かせて、ここで供養のために千部経を読経させ、大きな卒塔婆を建てました。
※ちなみに須ケ口の地名の由来ですが、清須の入り口という意味といわれています。
その後、寛文元年(1661)、正覚寺六代三誉上人と念仏講同行十四名の名前が刻まれた、生前供養のための石碑が建立されました。これが現在の今川塚供養碑と伝えられています。
つまり織田信長が建てた時代のものとは違うみたいです。
前述しましたが、この石碑はもとは名鉄・須ヶ口駅近くの民家にありましたが、平成十九年の正覚寺に移されました。
正覚寺の前の道は、旧街道の美濃路。
江戸時代の中仙道と東海道を結ぶ街道です。江戸時代に美濃路として整備される前、もともと何かの街道があり、それが美濃路となったのでしょう。
ちなみにまっすぐ北に進むと、清洲城近くの旧清洲宿に出ます。
私の感想
私の今川塚の感想ですが、これも貴重な戦国時代ゆかりの史跡だと思います。その理由は、江戸時代の塚ですが、義元の供養塔を須ケ口に建てさせたことは信長公記にも残っており、これもその須ケ口に建てられた塚だからです。
一見すると、今川義元の墓みたいに思えますが、これは墓ではないんですね。
またこの正覚寺は、場所的にも清洲城に近いので、車があるならセットで周ることもできると思います。