小牧長久手の戦いと関連がある蟹江合戦の舞台となった愛西市大野城址

愛西(あいさい)市の大野城址は、天正十二年(1584)年に起こった小牧・長久手の戦いと関連がある蟹江合戦の舞台となった城です。

■大野城の住所■

愛西市大野町郷前216

>>大野城の場所の地図

>>大野城の詳細 | ウィキペディア

蟹江合戦では重要な城のひとつ!

愛西市の大野城は佐久間正勝が築いた城で、天正十二年(1584)の小牧・長久手合戦では、織田・徳川方の山口重政が城主として守りました。しかし蟹江城や下市場城、そして前田城を攻め落とした羽柴方の滝川一益や九鬼嘉隆から攻め込まれ、落城寸前まで追い込まれます。

しかし徳川家康らの援軍が駆け付け羽柴軍は撤退。大野城は落城せずに済んだのです。その後、徳川家康の本陣がこの大野城に置かれ、蟹江城や下市場城も徳川方に攻められ落城していきました。そう考えてみると、蟹江合戦の要(かなめ)になった城ということですね。現在では田園の中にポツンと大野城址の石碑が建つのみですが、周辺の地形はチェックしておきたいポイントがあります。

堀跡か

まずは大野城の東側に大きな池があります。現在は入江みたいになっていますが、おそらくかつては、さらに東を流れる日光川と繋がっており、大野城の東を守る天然の堀みたいなものだったのでしょう。

平城の雰囲気

また南、西、北は、現在畑の地形で平地がずっと続いています。小牧長久手合戦の時、名将の誉れ高い滝川一益と九鬼嘉隆の水軍が大野城を攻めて落とせなかったというので、大野城の縄張りも堅固で、また周辺にも防御の工夫もあったのでしょう。今ではほとんど畑地になっており、かつての遺構は全く分かりませんが…

私の感想ですが、愛西市の大野城址は遺構も無く、石碑と案内看板のみの城跡ですが、ここは小牧長久手合戦ゆかりの城なので、一度は訪れておきたい城址だと思います。その理由は、滝川一益や九鬼嘉隆といった有名武将が攻めて落とせなかった城でもあるからです。また蟹江城や小牧長久手合戦を語る時、蟹江合戦は必ず出てくる戦いなので、その蟹江合戦ゆかりの城ということで、大野城は知っておきたいですね。

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