愛知県稲沢市の浅野長勝宅址は、戦国時代に弓衆として尾張織田氏に仕えた浅野長勝の屋敷跡です。浅野長勝は豊臣五奉行のひとりである浅野長政、そして羽柴秀吉(豊臣秀吉)の妻・おね(北政所)の養父でもあります。
■浅野長勝宅址の場所の住所■
稲沢市北市場本町1丁目1−1
浅野長勝の屋敷跡は愛知県に3ヶ所あります。長勝は天正年間(1573~93)初めの頃、現在の愛知県名古屋市北区に安井城を築城し、後に所領が中島郡大里村(現在の稲沢市)に移ったために、安井城を廃城してこの地に屋敷を建てます。その後、現在の一宮市に浅野城を築き移ったので、稲沢市の浅野屋敷も無くなりました。
石碑には浅野長勝宅址と刻まれていますが、ここで注意したいのは、当時の武将の屋敷は、堀と土塁に囲まれた家で、城郭研究では【城】として研究されています。きっとこの浅野長勝の屋敷も、堀と土塁が周辺を取り巻いていたのではないかと思います。
ちなみにこの浅野長勝宅址の石碑がある場所は、現在、思いっきり民家になっており、民家の敷地の片隅に石碑があって、道路から見学することができます。でもこの民家を含め、周辺は閑静な住宅地になっているので、騒がずに静かに見学したいものですね。
私の感想ですが、かつての武将の屋敷跡の遺構は残っていなくても、こうやって石碑が建っているのは、一歴史ファンとして嬉しい事だと思います。なぜかというと、城巡りや史跡巡りは、石碑を目標物として散策することが多いので、遺構は残っていなくても石碑があれば写真も撮れますし、史跡を巡ったという満足感も残ります。そしてこの石碑を一般に公開して下さっている民家の地主の方にも感謝ですね。
あと場所的には、長光寺の南100mくらいの場所なので、長光寺とセットにすることもできるので、まとめて巡ってみましょう。