織田信長の火縄銃の師匠・橋本一巴は城持ち豪族だった!稲沢市片原一色城

愛知県稲沢市の片原一色城址は、織田信長の火縄銃の師匠だった橋本一巴(はしもと いっぱ)の居城跡です。

■片原一色城址の場所の住所■

稲沢市片原一色町如来

>>片原一色城址の場所の地図

三人の先生

織田信長研究の第一級資料【信長公記】によると、信長は16~18歳の頃、これといった遊びにふけることなく、馬術や水練(泳ぎの稽古)などの武芸を好んでいた様です。その時、信長には次の三人の師匠(先生)がいました。

【弓】⇒市川大介

【火縄銃】⇒橋本一巴

【兵法】⇒平田三位

その中に橋本一巴という人物の名前がありますが、この人物が現在、愛知県稲沢市に残る片原一色城址の城主だったのです。

稲沢市の殿様

橋本一巴の橋本氏は、南北朝時代に活躍した楠正成(くすのき まさしげ)の楠氏の子孫といわれ、現在の愛知県稲沢市には、橋本氏一族の城址が複数残っています。

  • 井堀城(井掘中郷町)
  • 儀長城(儀長町)
  • 矢合城(やわせじょう:矢合町)

これを見ると、この地域に勢力を持っていた豪族の一族だったのでしょうね。しかしなぜこの橋本一族の中から信長の火縄銃の師範を務めた人物が出たのか?という理由は分かっていません。

歴史に残る一騎打ち

信長公記には、橋本一巴の活躍が大きく取り上げられている場面があります。それが永禄元年(1558)清洲城の織田信長と岩倉城の織田信賢が戦った浮野の戦いです。

現在の愛知県一宮市で両軍は激突したのですが、この時、岩倉方の弓の名人・林弥七郎と火縄銃の橋本一巴が、弓VS火縄銃の一騎打ちを繰り広げています。その時の様子も信長公記に記載されており、この時の古戦場も浮野古戦場として現在に残っています。

>>弓の林弥七郎と鉄砲の橋本一巴が一騎討ち! 一宮市浮野古戦場 

それで城址は?

さて、そんな鉄砲名人の橋本一巴の居城である片原一色城址ですが、現在では石碑が建つのみで、城址の遺構などは何も残っていません。

たぶん時代や豪族の規模から見て、天守などは無く、館の周りに堀や土塁を築いて防御度を高めていたものだったのではないかと私は思います。でも信長公記に出てくる信長の師匠の居城ですし、現地にはロータリークラブが建てた石碑もあり、歴史の事も刻まれているので、歴史ファンには嬉しいですね。

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