長篠城を包囲していた五砦のひとつ中山砦跡の公園に登ってみた感想

新東名高速道路の建設で消滅してしまった戦国時代の砦跡があります。それが中山砦です。中山砦とは、長篠設楽ヶ原合戦の時に徳川方だった長篠城を包囲していた武田軍の5つの砦のひとつです。

設楽ヶ原で織田徳川連合軍と武田軍が激突しようとしていた時、酒井忠次率いる奇襲部隊が長篠城を包囲していた5つの砦を襲い、武田軍の退路を断ちます。この時に中山砦も陥落してしまい、退路を断たれた武田軍は、目の前の織田徳川連合軍と戦わなければならなくなったといわれています。

そんな中山砦は長篠設楽原合戦後、400年以上もそのままの状態だったのですが、新東名高速道路の進路にあたり、削られて高架になってしまいました。その建設工事の時、新城市に在住の郷土史家・梶村昌義氏の働きかけにより、新東名高速道路工事が終了した時にNEXCO中日本が歴史公園を建設しました。それが中山砦歴史公園です。

■中山砦歴史公園の場所の住所■

新城市乗本船津

>>中山砦歴史公園の場所の地図

登ってみた!

中山砦歴史公園は県道439号線の牛渕橋を渡ったすぐのところから徒歩で登る事ができます。地元の方が手書きの看板を用意してくれていました。

登る事ができると言っても…かなりの段数の階段を登らなければなりませんが…この階段の上が中山砦公園になっています。

着きました!現地には物見台風の2階建ての展望台、そして石碑と周辺の景色の案内看板などが立っています。

こちらが石碑。新東名高速道路建設の際に発掘調査が行われたのですが、その時に土塁や堀切、そして井戸跡のほか、矢尻が出土しています。

周辺をチェック!

そして中山砦からの風景。この風景もポイントです。なぜかというと中山砦は長篠設楽原合戦時、長篠城を包囲していた砦でしたし、周辺の武田軍の砦と合図を確認できなければならない場所でもありました。実際の中山砦の場所は現在の新東名高速道路の真ん中あたりといわれていますので、公園は少しズレた場所にありますが、おおよその景色を把握できます。

中山砦歴史公園から見える長篠城の本丸。正直、丸見えです。敵で徳川方の奥平軍が籠城していた長篠城です。

そして長篠城の奥に見える寺は大通寺で、長篠城を包囲していた馬場美濃守(信房)が陣を置いていた場所でもあります。ここもまるっと見えます。

私の感想ですが、この中山砦公園は長篠城を訪れた際にはチェックしておくことをオススメします。その理由は、ここも長篠設楽原合戦ゆかりの史跡だからです。長篠城を包囲していた5砦のうち、中山砦と鳶ヶ巣山(とびがすやま)砦は案内看板もあるので、初めての人でも訪れやすいと思います。

また長篠城から来る途中に鳥居強右衛門の墓が残る新昌寺、強右衛門の磔の場所、そして長篠城のビュースポット牛渕橋がありますので、中山砦公園とセットで楽しみましょう!

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