長篠設楽原(ながしの したらがはら)の戦いが起こった場所は現在の愛知県新城市。今では古戦場の面影もなく、のんびりとした田園風景が広がっています。そんな中、かつての合戦で激戦地だったといわれる場所が4ヶ所あるので現地に行ってみました。
その4ヶ所とは
設楽原古戦場の南北に竹広激戦地、柳田前激戦地、大宮前激戦地、名高田(なこうだ)前激戦地があります。これは長篠合戦図屏風にも描かれているみたいに細長いので、歩き通すこともできます。では南側から見てみましょう。
竹広激戦地
竹広激戦地は設楽原古戦場の南にある激戦地。合戦屏風絵図では大久保忠世、忠佐兄弟の更に南側です。馬防柵の南端もこの辺りと考えられています。
柳田前激戦地
古戦場の中央よりほぼ南に位置する柳田前激戦地。設楽原歴史資料館から坂を下り、馬防柵に向かう途中に石碑があります。合戦屏風絵図では連吾川が迫り出しており、連合軍の徳川勢が馬防柵より出て鉄砲を撃っている場所です。
大宮前激戦地
中央よりほぼ北側に位置する大宮前激戦地。ここは丸山という小高い丘がありまして、合戦前は織田軍の佐久間信盛が陣を置いていましたが、後に武田軍の馬場信春(美濃守)が攻め取った場所です。その時の激戦なのでしょう。
現在の大宮前激戦地から中央を眺めるとこんな感じです。手前は連吾川。
名高田前激戦地
設楽原古戦場の北端が名高田前(なこうだまえ)激戦地。ここは武田軍の真田信綱、真田昌輝兄弟が攻めかかった場所で、2人とも討ち死にしています。余談ですが真田家では長男、次男が長篠設楽原の戦いで亡くなっているので三男の昌幸(幸村:信繁の父)が真田家を継ぎました。
所要時間と私の感想
設楽原古戦場の4つの激戦地を巡る所要時間について。例えば設楽原歴史資料館に車を止めた後、4つの激戦地を巡り再び資料館に戻るとすると、約1時間~1時間30分でしょう。
私の感想は、せっかく設楽原古戦場に行くなら、古戦場の隅々まで見てみたいし、ちょうど4つの激戦地も縦長のラインになっており、道も舗装されている場所も多いので4つとも巡って見ることをオススメします。このほか長篠城もセットにしたり、道の駅や飲食店で食事、お土産チェックなどしていると、まるっと1日楽しむことができると思います。