設楽原古戦場には深溝城主・松平伊忠(まつだいら これただ)の戦死地といわれる場所があります。
看板の説明
松平伊忠戦死の地
鳶ヶ巣山砦の奇襲に勝利すると、豊川(大川)を渡り武田軍を追撃中に逆に武田軍に挟まれ討ち死にした。この近くという。 ・連合軍側で討ち死にした城主級の武将。 ・伊忠の嫡男も参戦し、二十五年後の関ヶ原前哨戦の伏見城の戦いで討ち死にした。
平成二十七年春 東郷の戦国史跡の会
深溝城とは
深溝(ふこうず)城とは、現在の額田郡・幸田町にあった深溝松平氏の城跡。西三河と東三河の境にあり、松平家の本拠・安祥城、岡崎城にも近い場所です。深溝にも城が3つあったといわれ、その本城に石碑が建立されています。
深溝松平氏とは
松平伊忠の深溝松平氏は、同じ一族で五井城(蒲郡市)に勢力を持っていた五井松平氏から分かれた一族です。松平一族の中では中間あたりに発祥した家系です。
栄螺の兜
松平伊忠の特徴のひとつに栄螺(さざえ)の形をした兜があります。かなり個性的でインパクトがありますね。一目で伊忠と分かる奇抜なデザインです。
私の感想
私の松平伊忠戦死地の感想ですが、もし長篠設楽原の戦いで亡くならなかったらどんな活躍をしていたのだろう?と想像は広がります。
またこの場所は北側に武田軍の敗走ルートが残っているので、逃げる武田軍を追っている時、挟撃されて討たれたというのも納得が行く場所だと思います。