新城市緑が丘の万人ヶ入り(まんじゅうがり)は、天正三年(1575)に起きた織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼率いる武田軍が戦った長篠設楽原合戦で、近くの村人たちが避難した場所といわれています。
設楽原決戦時に大海や有海の村人たちが避難した所といわれ、『まんじゅがり』とも呼んでいる。ここは地形的に三方が山に囲まれ、入口が一方だけの自然の要害で水の湧き出る谷間であった。
・昭和五十九年に『緑ヶ丘受託団地』が造成され、昔の地形は現在残ってはいないが、周囲の見晴らしは昔のままである
・文化十四年の大海の古地図には『まんぢうヶ入』と記されている。
平成二十九年春 東郷の戦国史跡の会
現地看板
現地看板にある文化14年(1817)の古地図。これを見ると谷間みたいな場所が避難場所と解説してあります。
地形も見てみる
『万人ヶ入』(まんじゅがり)の場所はJR飯田線・大海駅の南にある独立した台地です。長篠城を包囲していた武田軍が設楽原に向かう時、その北側に万人ヶ入があったことがわかります。
ふもとから
JR飯田線・大海駅の裏山が万人ヶ入です。高台になっていますね。私の感想ですが武将の戦死地とかではなく、合戦により村人が避難した場所ですが、これも長篠設楽原の関連史跡としてチェックしておきたいと思います。
その理由は他の古戦場も村人が避難していた場所など想定地が出るかもしれないからです。これも貴重な史跡だと思います。