田原市野田町の運昌寺は世話になった徳川家康がお礼を奉納したという伝説が残る寺院です。
どんな伝説?
雲昌寺に伝わる話です。徳川家康が夜明け前に運昌寺を訪れました。寺の老婆がもてなすと、家康はお礼がしたいので望むものは何か?と聞きました。老婆は『薪をこれだけ欲しい』と、しゃもじで示すと家康は運昌寺の裏山を丸ごとひとつ与えたそうです。
いつ頃の話なのか?
この家康のお礼の話について。これは私の仮説ですが本能寺の変後の伊賀越えの時出はないかと思います。その根拠は運昌寺の西にある泉福寺は徳川家康が伊賀越の時に立ち寄り、軍資金んを隠したという伝説があるからです。
泉福寺はすでに三河です。ここから岡崎城に陸路で向かうとすると、その途中に運昌寺があります。だからその時に立ち寄ったのではないかと思います。
運昌寺に伝わるもの
運昌寺には徳川家康が腰掛けたと伝わる石があります。これはお寺の方に案内して頂いた時に教えてもらいました。看板などがないのでわかりませんね。
家康が与えたしゃもじ山も運昌寺の方に教えてもらいましした。場所は運昌寺の西側にある山です。確かにしゃもじを横にした形に似てますね。この伝説が本当なら寺領として安堵したということなのでしょう。
私の感想ですが、家康の伊賀越えルートは複数あって、田原市を含む東三河の渥美半島にもゆかりの地があるのは驚きでした。