藤堂高虎が無銭飲食で大名に?!豊橋市吉田城下に残る藤堂高虎出世餅の逸話

築城の名手として有名な戦国武将・藤堂高虎。現在の日本100名城である伊賀上野城や続100名城の津城(共に三重県)を手掛けた武将です。でもその高虎は若い頃は貧しい若者でした。

しかし人生のターニングポイントが現在の愛知県豊橋市・吉田宿にあったのです。藤堂高虎の人生が大きく変わるキッカケとはいったい何だったのか?この記事ではそんな藤堂高虎の三河での逸話をチェックしてみましょう!

すらっと無銭飲食

藤堂高虎は若い頃、近江(滋賀県)に生まれた与吉(よきち)という名前の貧しい青年で、立身出世を夢見ていました。ある時、立身出世を願い東に向かって旅に出ました。しかし三河の吉田宿にたどり着いた時には無一文になっていたのです。そこで与吉はなんと、餅屋で無銭飲食(タダ食い)をしてしまい、餅屋の主人に捕まります。

普通ならそこでヒドイ目に遭ってもおかしくはなかったのですが、餅屋の主人・彦兵衛は高虎から無銭飲食の理由を聞くと、『立身出世の夢を捨て故郷に戻り親孝行をしなさい』といって、路銀(旅費)を渡して、与吉を近江に返します。

それから30数年後…

関ヶ原の戦いが終わり、世は江戸時代となり、参勤交代の大名行列が吉田宿を行き交っていました。ある日のこと。彦兵衛の店の前で大名行列が止まり、駕籠から大名らしき偉そうな人物が降りてきて彦兵衛を訪ねます。大名に知り合いなんかいなかった彦兵衛は、驚いて大名の前で平伏します。

『彦兵衛、ひさしぶりじゃのう?』

そう問いかける大名の顔を見ると……なんと30年前に無銭飲食した青年でした!

なぜ与吉が大名に?

実は与吉はあの後、故郷の近江に帰ると織田家家臣の羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に仕え、秀吉のもとで出世を続けたのでした。そして秀吉没後は徳川家康に仕え大名となっていたのです。

また高虎は三つ丸餅という白い餅を3つ並べた旗印を使用していました。これは無銭飲食を許してくれた餅屋の彦兵衛に対する恩義、または白餅=城持ち(大名)になるという希望を掲げたものだとか。実際に関ケ原合戦に出陣した高虎は、この三つ丸餅の旗印を掲げて戦場で戦っています。

さて、そんな高虎はちょうど参勤交代で江戸に行く途中、吉田宿の彦兵衛の店に立ち寄り、彦兵衛に礼を述べると共に多くの銭を与え恩返しをしたそうです。それが吉田宿があった愛知県豊橋市に伝わる藤堂高虎の出世餅の逸話なんですね。

伊賀上野城にも

藤堂高虎が築城した伊賀上野城にも今回紹介した餅エピソードがPRしてありました。

現代の出世餅

この藤堂高虎の出世餅逸話を現代風にアレンジしたお菓子を豊橋市の童庵という店が販売しています。豊橋市内にいくつか店舗はありますが、豊橋駅にもカルミア店があるので、JR、名鉄そして新幹線で豊橋駅を訪れた時に購入することができます。

>>童庵の店舗案内 | 童庵公式サイト

購入数によってパッケージが変わるものの、藤堂高虎の出世餅のインパクトは大きいですね。

実際に食べてみた私の感想ですが、餅というよりモッチリしたどらやきという感じでした。美味しいです。個人用でも良いですし、歴史好き、戦国好き、または城巡り好きの方へのお土産としても喜ばれるのではと思いました。

豊橋市には続日本100名城の吉田城がありますし、近くの新城市にも100名城の長篠城、続100名城の古宮城がありますから。ともあれ、愛知県豊橋市のオススメお土産だと思った藤堂高虎の出世餅でした。

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