静岡県湖西市に愛知県豊橋市の三河吉田城(日本続100名城)の移築門があると聞いたので実際に行って来ました!吉田城から約20km程度の場所にあり、車だと所要時間は約40分ほどでした。この本興寺のどこに吉田城の移築門があるのか?実はもう見えてるんですよね。
■本興寺の住所■
静岡県湖西市鷲津384
吉田城の大手門
それがこちら!本興寺の山門(惣門)が吉田城の移築門です。この門は吉田城の大手門とも伝わり、寺伝に寄ると延宝二年(1674)にこの地に移築したもので、高麗門(こうらいもん)といわれる形式の門です。普通、移築門と言えば明治時代の廃城令後に移築されるケースが多いのですが、延宝二年(1674)というと江戸時代中期ですね。この移築タイミングも珍しい。
城門の歴史
もと三河国吉田城の城門であったものを延宝二年(1674)十六世日穏(にちおん)の代に吉田城より移築したもので、高麗門といわれる形式の門です。
改築される前は、上端が薄く下端が厚い板を段状に葺いた段葺き(だんぶき)技法の特徴を備えた風格のある門でしたが、移築時に杮葺き(こけらぶき)に改修されました。その後、享保十年(1725)に現在のような本瓦葺きに改修されました。 なお、創建時の段葺き屋根の特徴は、現在も瓦葺きの下に保存されています。
湖西市指定有形文化財
昭和五十九年十一月三十日指定
門の裏側。ちなみに本興寺の駐車場の直ぐ側にあります。
移築門の鬼瓦。
この門があった場所
伝承では湖西市の本興寺の移築門は吉田城の大手門と伝わります。その伝承が本当なら、現在の豊橋市呉服町辺りにあったという事になりますね。現在では道の隅に吉田城大手門跡という碑が建立されています。
■吉田城大手門跡の住所■
豊橋市呉服町
かつての大手門
吉田城の案内看板にあった大手門。明治初年に撮影されたものです。本興寺の説明にもありますが移築の時にかなり改修されたみたいで、もとの形はこれです。
私の感想
私の感想ですが、この移築門は傷みも少なくシッカリした門なので、吉田城を訪れた事がある方は是非見ておいてほしい移築門だと思いました。場所的には東海道新居宿に近いので、新居の関所とセットにするのもオススメです。