日本最古の火縄銃といわれる信玄砲は武田信玄を狙撃した伝説があった

日本最古といわれる伝説の火縄銃が、愛知県新城市の設楽原歴史にあります。その名も信玄砲(しんげんほう)。

信玄と名前だけを聞くと、戦国大名の甲斐の武田信玄を思い浮かべますが、この火縄銃は武田信玄ゆかりがあるのです。

ではどんなエピソードがあるのか?この記事ではこの日本最古の火縄銃・信玄砲と武田信玄の関係をチェックしてみます。

実は三河に来ていた武田信玄

時代は元亀三年(1573)、武田信玄は上洛途中、遠江(とおとうみ:静岡県西部)の三方ヶ原で徳川軍に勝利し、そのまま西へ進み、三河の野田城を包囲しました。

野田城は約500人の兵で籠城していましたが天然の要害。約1万5千~3万(諸説あり)といわれる武田軍は野田城を包囲しましたが、戦況は膠着状態になりました。

そんなある夜。

城内から美しい笛の音が聞こえ、笛好きの信玄は野田城近くの崖の上で笛を聞いていました。

野田城内では武田軍の偉そうな人物が笛を聞いていると分かったので、その人物目掛けて火縄銃を撃ってみると、見事に当たり武田軍が騒然となったのです。

この時に武田信玄を狙撃したのが、新城市・長篠設楽原歴史資料館に残る信玄砲(しんげんほう)といわれています。

その信玄砲

これがその信玄砲。ちなみに写真撮影可です。説明板をよく見てみると…

日本最古伝説の火縄銃【信玄砲】と書かれています。

通常の火縄銃より大きいです。また銃身だけが残っています。

こちらは火縄銃の玉と玉を作る道具。

火皿(右)と尾栓(びせん:左)。尾栓は錆びついているみたいですが、抜けるのだろうか?

資料館内に展示してある野田城のジオラマ。本丸、二の丸、三の丸が一列になっている連郭式(れんかくしき)というタイプの縄張りで、特徴的なのが両脇の淵。

甲冑着て野田城を攻める場合、この両脇からだと泳がねばならずほとんど不可。また本丸背後は急峻な崖になっておりこれもキツイ。

では正面からということなのですが、籠城側も正面に守りを集中できるので、少ない兵で防御する事ができるんですね。

この野田城跡は現在でも残っており、巡る事ができます。

ちなみに現地には武田信玄を狙撃したであろうと思われる場所があり、新城市教育委員会が看板を立ててくれています。

また対岸にも武田信玄が狙撃された場所もあるので、野田城の遺構とセットで巡事ができるのです。

>>野田城跡の現地レビュー

私の感想

私の信玄砲の感想ですが、伝説とはいえ、あの武田信玄を狙撃したといわれる鉄砲が残っていたのは興味深かったです。

また野田城攻めにおける信玄の狙撃説は、三河では有名ですが甲陽軍鑑など武田側の資料には見当たりません。

でも歴史は見る側の視点で描かれる事が多く、また最近では歴史研究が進むにつれ、今までの常識と思われていた事が変わることも多いのです。

もしかすると近い将来、この信玄狙撃説も定説になるのではと思います。

あと補足ですが、新城市設楽原歴史資料館は、長篠古戦場にあるので、古戦場とセットで訪れてみるのをオススメします。

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