新城市川路には天正三年(1575)の長篠設楽原合戦で、川から長篠城を脱出した鳥居強右衛門が上陸したと考えられる場所があります。
強右衛門の脱出ルート
兵500人が籠もる長篠城は1万5千人の武田軍に包囲され兵糧庫まで落とされます。そこで岡崎城へ援軍の使者となったのが鳥居強右衛門と鈴木金七。長篠城は周辺を武田軍に包囲されていましたが、南側は豊川と宇連川が合流しており、そこからコッソリと抜け出したのです。
そして豊川を泳ぎ西へ。武田軍の包囲をかいくぐり上陸した場所が新城市川路にある鳥居強右衛門勝商上陸地。ここから近くの山で狼煙をあげて岡崎城に向かいました。
上陸地周辺の様子
天正三年(1575)の #長篠設楽原 合戦で500人が籠もる #長篠城 は1万5千人の武田軍に包囲され風前の灯火。そこで #鳥居強右衛門 が援軍の使者に。長篠城から密かに川に潜り泳いで移動。そして上陸した場所がこちら。強右衛門はここから狼煙を上げに山に向かい #徳川家康 の岡崎城へ走ります。 pic.twitter.com/5jeWnNZL8z
— 愛知戦国史跡ナビゲ-タ-・みかわのひで (@mikawanohide) July 12, 2024
当時、この辺は豊川の渡しがあったようで浅瀬だったみたいです。そこから上陸地して陸路へ切り替え強右衛門は走っていきました。
私の感想は郷土史レベルの史跡ですが碑も建っており分かりやすくなっているのが有り難いと思いました。あと気付いた注意事項ですが、道が細いので車で訪れるのは不可です。近くに車を止めて歩いて巡りましょう。