設楽原古戦場の南端にある大久保忠世、忠佐兄弟陣跡と勝楽寺前激戦地

天正三年(1575)の長篠設楽原の戦いで戦場の一番南端と考えられる場所が、徳川家臣の大久保忠世、忠佐兄弟の陣がある新城市川路です。

>>大久保兄弟陣跡の地図

屏風と違う南端

勝楽寺前激戦地の場所はどこにあるのかお伝えします。現在の設楽原古戦場の再現された馬防柵前に犬山城白帝文庫の長篠・設楽原合戦屏風絵図がパネルで展示してあります。南北に長い古戦場の一番南が勝楽寺前激戦地。屏風では佐久間信盛の陣があるのですがこれは誤りです。

そして現地

現地の様子。南に流れる豊川に向けてなだらかに下がってます。かつて激戦が繰り広げられた場所ですが今ではその雰囲気も全くありません。

南の激戦

中央で激戦が繰り広げられていた頃、戦場の南から徳川軍を突破しようとしていた武田軍の舞台がありました。ひとつは山本勘蔵信供の部隊。かつて武田信玄に軍師として仕えたといわれる山本勘助の息子です。

もうひとつは高坂昌澄隊。武田四天王のひとり高坂弾正昌信の息子です。正面からぶつかるのではなく戦場の端から突撃しましたが大久保兄弟率いる徳川軍によって阻まれてしまい、2人とも勝楽寺激戦地で討たれてしまいます。

私の感想

私の感想ですがここが長篠設楽原合戦の南端だとすると、かなりの広範囲に及ぶ戦場だったと思います。戦場の北端といわれる場所が今でいう馬防柵左端の史跡ですが、私が実際に歩いてみた体験ですと約2.5kmほど、所要時間は30分かかりました。それだけ南北に長かったのです。

多くの方は設楽原歴史資料館に行って馬防柵歩いて帰るくらいですが、この古戦場をガッツリ歩いてみるのも距離感が分かって面白いと思います。

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