新城市文珠山城は武田軍に脅された奥平氏が一晩で築いたので一夜城といわれる城

新城市作手の文殊山城(もんじゅやまじょう)は当時、亀山城を拠点にした奥平氏が築いた城です。合戦のためだけに築かれたので文珠山砦(もんじゅやまとりで)ともよばれています。

>>文珠山城の場所の地図

現地看板

文殊山城跡

 この城跡は、亀山城主の奥平氏の砦城で、元亀年間(1570~72)に武田氏との和睦の証として塞之神城とともに築く筈であったが、延引したため武田氏より強談に合い奥平氏が一夜にしてこれを築いたので一夜城とも言われる。

 中央の文殊菩薩は、江戸時代に地元有志により奉納された石像で、台座には『西須山村東市場村』と刻まれており当時村界であったことが分かる。また、宝篋印塔(ほうきょういんとう)左手に足助町有志が奉納した笠村の円柱石塔があり、この山は近世から近代にかけた信仰の山であったことを示している。

 この文殊堂は善福寺の奥之院で文殊菩薩は知恵の文殊とも言われ卯年生まれの守護仏で縁日は毎月二十五日である。唱え真言『おん・あらはしゃ・のう』合掌

新城市教育委員会

これが文珠山城の縄張図。曲輪がひとつで周辺に土塁と堀を巡らせたシンプルな造りです。

徒歩、車ともにOK!

文殊山城のアクセスですが徒歩と車どちらでも訪れることができます。まずは徒歩は善福寺からの山道があり所要時間20分ほどで文殊山城に着きます。車の場合は新城市作手保健センターの南に林道みたいな細い道があるので、そこから中に入ります。駐車場も完備!

そして城内

文殊山城は単曲輪といって曲輪がひとつだけの城ですが、周辺に土塁が巻いており今でもハッキリと確認できるくらい良好に残っています。

展望台にはハシゴを使って登れます。当時は天守閣みたいな建物は無かったと思いますが、周辺を見渡せる物見櫓みたいな高い建物はあったのでしょう。

これは対岸の三河亀山城(道の駅・つくで手作り村の裏山)から文珠山を望んだ風景。山のガクッと上った場所に砦があります。

本丸の後ろを見てみると堀、土塁、切岸、曲輪をハッキリと確認できます。堀はかなり埋まっていますがヘコんでいる個所が分かりますか?周辺の防御の仕組みですね。

これは必ず気付きたい虎口の跡。城の外から中を見た視線で、土塁の先に土橋を配置した様子がよく分かります。文珠山城の所要時間は約20分ほど。私の感想ですがシンプルな縄張りですが遺構が程よく残っており、目視で確認できるので訪れた甲斐がありました。また尾根続きで塞之神城(さいのかみじょう)にも歩いて行けるのでセットで訪れるのがオススメです。

【あなたも一緒に城巡りしませんか?】

愛知県の城跡や戦国史跡を巡る歴史好きのサークル・【愛知ウォーキング城巡り倶楽部】。活動は毎月第一土曜、もしくは日曜日。現地集合、現地解散で行われる見学会です。城好き、戦国好きの方が在籍しています。歴史に詳しい、詳しくないなどは関係なし!好きならそれでOKです。入会費や年会費などもなく、参加する時だけ参加費を払うだけなので、あなたも気軽に遊びに来てみませんか?

>>詳しくはこちら

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク