新城市の医王寺(醫王寺)は、天正三年(1575)の長篠設楽原合戦で武田勝頼が最初に本陣を置き、長篠城を攻めた場所です。
■医王寺の住所
新城市長篠弥陀の前256
ここから長篠城を攻めた
天正三年(1575)4月に甲斐(山梨県)を出陣した武田勝頼率いる武田軍訳1万5000は5月8に長篠城を包囲。その時、武田勝頼が本陣を置いたのが現在の医王寺です。
永正十一年(1514)に曹洞宗の寺として開山されたといわれる医王寺。本堂前には武田勝頼公本陣趾の石碑があります。
片葉のアシの伝説
境内前の駐車場に片葉の葦(あし)の伝説が残る池があります。織田徳川連合軍が設楽原に進軍した報告を受けた武田勝頼は決戦を決め出陣しようとしました。出撃前夜に勝頼の夢枕に老人が現れ、出撃を止めるようにと諌めます。しかし勝頼はこの老人の諌めを無礼だ!と言って、太刀で老人の腕を切り落としたところで目が覚めました。
翌朝、境内の弥陀池を見ると、茂っていた葦が全て片葉になっていました。勝頼に切られた老人は葦(あし)の精霊だったといわれています。
それでは山頂へ
医王寺の裏山に勝頼の本陣跡があり物見櫓が建てられているとのことなので行ってみましょう!まずは案内看板に従い山を登って行きます。
登山道は登りやすく整備されていました。看板には徒歩での所要時間は10分と書かれていましたが、実際には5分ほどで山頂へ着きました。
そして山頂。物見櫓があります。
物見櫓は展望台になっており、櫓下にあるハシゴから上に登ることができました。
長篠城が見えた!
黄色の◯が長篠城。当時は木はほとんど無かったと考えられますので、ダイレクトに城内を見ることができたのではないでしょうか。
ここから諸将に長篠城を攻めるよう、采配を採っていたワケですが、結局10日ほど経っても長篠城は落ちませんでした。そこに織田信長、徳川家康が進軍中と報告を受けた武田勝頼は長篠城攻略を諦め設楽原へ軍を進めます。
私の医王寺の武田勝頼本陣跡の感想ですが、ここから長篠城は見えますし、展望台も再現してあるので、長篠設楽原の戦いに興味がある方にはぜひ、おすすめの史跡だと思います。本堂の参拝はもちろん、裏山の展望台もシッカリとチェックしておきましょう。