名古屋市中村区の隠斉屋敷(いんさいやしき)は、豊臣秀吉(はしばひでよし)の妹・旭のもと夫だった副田甚兵衛吉成が隠居した屋敷といわれています。
副田甚兵衛吉成って誰?
副田甚兵衛吉成(そえだじんべえ よしなり)とは、豊臣秀吉の妹・旭(あさひ)と結婚していた男性です。
天正十二年(1584)の小牧長久手合戦後、豊臣秀吉は徳川家康を攻めようとしていました。でも天正地震で合戦どころではなくなったのです。そこで家康を上洛させて自分の臣下になるように要請しますが、家康は拒否します。
そこで正室を亡くしていた家康に自分の妹を正室として送り込もうとしたのです。でも、それにはちょっとしたムリがありました。
なぜかというと、秀吉の妹・旭はすでに結婚しており44歳。でも秀吉は旭の夫である副田甚兵衛吉成に妹と別れる様に迫ります。一説には5万石の加増を条件に離縁を迫られたそうですが、加増を断って出家して現在の名古屋市中村区烏森(かすもり)に隠居したといわれています。
副田甚兵衛吉成の隠居地
その副田甚兵衛吉成の隠居地は現在の名古屋市中村区にある禅養寺の西北にあったといわれています。現在は住宅地になっていますが禅養寺の山門はかつての副田甚兵衛屋敷の移築門といわれています。
■禅養寺の住所
名古屋市中村区烏森町7丁目182
これが屋敷門!のはずが…
禅養寺の山門はかつての副田甚兵衛屋敷の移築門といわれていますが、実際に見てみると何やら新しいような…
そこでお寺の方に尋ねてみると、たしかにその様な伝承はあるものの、時代の途中で修復されており、どこかに当時の部材はあるのかもしれないのだけれど、詳細は分からないとのこと。
まあ、戦国時代から400年以上経ってますので、当時のままというわけにはいかないと思いますけれど。
ちなみに副田氏は養子をもらい、尾張藩士になったとのこと。このあたりは大河ドラマ・どうする家康では放送されませんでしたが、秀吉の妹・旭姫のもとダンナゆかりの史跡が名古屋市中村区にあるということですね。