名古屋市中村区にある中村公園は、豊臣秀吉の生誕地といわれる場所です。現在では公園として整備され、資料館や豊国神社をはじめ秀吉ゆかりの史跡もあり、近隣には加藤清正の生誕地や秀吉の産湯井戸もあります。
令和二年(2020)のNHK大河ドラマ・麒麟がくるでは、俳優の佐々木蔵之介さんが木下藤吉郎秀吉役として、令和五年(2023)NHK大河ドラマ・どうする家康では同じく俳優のムロツヨシさんが豊臣秀吉役として話題になりました。
この中村公園は特に戦国好き、秀吉好きの方は、一度の訪問でゴソっと史跡を巡る事ができるのでオススメの戦国史跡でもあるんです。では、そんな中村公園と周辺の見どころを説明します。
■中村公園の場所の住所■
名古屋市中村区中村町高畑68
豊公生誕之地の石碑
まずは豊臣秀吉が生まれた場所という意味の石碑。公園の中にあります。いきなりメインの史跡ですが、中村公園を訪れたら見逃したくないポイントはやはりココですね。
日吉丸と仲間たちの銅像
豊臣秀吉は子供の頃、日吉丸(もしくは日吉)という幼名だったといわれています。秀吉は後に尾張中村出て行商や武家奉公の旅に出ますが、この銅像は中村にいた頃の秀吉のものですね。岩の上に立っているガキ大将みたいなのが秀吉です。
木下勝俊宅趾
後に若狭小浜城(後瀬山城)主となる木下勝俊の家があった場所。看板の表記は勝俊が歌人として名乗った長嘯子(ちょうしょうし)宅跡になっています。勝俊の父は木下家定という人で、秀吉の正室・北政所(おね)の兄です。だから北政所から見ると甥にあたる人物なんですね。
ちなみに異母弟には、豊後日出藩初代藩主・木下延俊や関ヶ原合戦の有名人・小早川秀秋がいます。
小出秀政出生地
秀吉の一族で和泉岸和田城主になった小出秀政の出生地。秀政は検地奉行、蔵入奉行として豊臣政権を支え、片桐且元らと共に秀頼の傅役(もりやく:教育係)になっています。その秀政の生誕地という事で、公園内には石碑と案内看板が建っています。
加藤清正ゆかりの八幡社
中村公園内にある八幡社は、加藤清正が出陣する時に武運長久を祈願したといわれています。また清正が名古屋城の天守を築く時、ここの八幡社の境内にあった大楠を棟木にしたとか。かつての名古屋城大天守は空襲で燃えてしまいましたが、この八幡社も名古屋城築城に携わっているんですね。
秀吉清正記念館
中村公園に隣接する秀吉清正記念館は、豊臣秀吉や加藤清正に関する展示のほか、たまに企画展も行っており、中村公園とセットで巡る事ができます。
【開館時間】10時~17時
【休館日】
・毎週月曜(祝日の場合は翌日)
・第三金曜日(祝日を除く)
・年末年始(12月29日~1月3日)
【入館料】無料
>>秀吉清正記念館の企画展やパネル展そして詳細など | 名古屋市
館内には、秀吉や清正ゆかりの展示物がズラリと並んでいます。たまに展示物も変わるみたいです。所要時間は常設展で約20分くらいですが、貴重な展示物や企画展がある場合はもう少し時間が必要になるでしょう。
あと秀吉清正記念館で無料で配布しているパンフレット、リーフレットも要チェックです。私の感想ですが、その中に加藤清正の手形がど~んと載っているものがあり、とても人の手とは思えないくらいの大きさです。後世の創作っぽい気もしますが、逆に言えば江戸時代に人気があったからこそ、こんな手形になってしまったのではと思います。
豊国神社
公園内にある豊国神社(読み:とよくにじんじゃ)は、豊臣秀吉を祀る神社で、立身出世に御利益があり、多くの参拝者が訪れます。
絵馬はなんと、瓢箪(ひょうたん)!瓢箪は秀吉の馬印(戦場で自軍をPRするための印)で、戦に勝つ度に瓢箪を増やし、それが後に千成瓢箪となりました。この瓢箪絵馬に願いを書き、豊国神社に奉納します。お値段は500円也。
また熊本地震で被災した加藤清正ゆかりの加藤神社を支援する御朱印や御札もあります。売上の一部が寄付されるということで、私も数枚買いました。間接的ですが、こういった形で熊本の支援ができるのも嬉しいですね。
妙行寺
中村公園の隣りにある妙行寺(みょうぎょうじ)は、加藤清正の生誕地です。中村公園から徒歩数分なので、この妙行寺も歩いてセットにできます。
境内には清正出生之地の石碑のほか、清正の銅像もあります。ちなみに清正の銅像は愛知県に3体あり、名古屋城に2体、そして妙行寺の1体です。豊国神社、そして妙行寺も両方参拝しておきましょう
常泉寺
こちらも中村公園に隣接した常泉寺。ここには太閤(秀吉)の産湯井戸があります。
寺の名前の由来にもなっている常泉寺には、豊富に湧き出る泉があり、それがかつて秀吉の産湯にも使われたそうです。昭和四十年代に開発により水脈が途絶えたこともありましたが、その後復活して今でも水が湧き出ています。
これは私の仮説ですが、この井戸はもともと村の共同井戸で、その水を秀吉の産湯に使ったのではないでしょうか?その根拠は常泉寺は加藤清正によって慶長十一年(1606)に創建されており、秀吉が生まれた時には無かったからです。だからお寺の井戸ではなく、村の共同水汲み場みたいな場所だったと思います。
秀吉手植えの柊(ひいらぎ)。天正十八年(1590)、小田原の陣の後、大坂城に凱旋途中の秀吉はこの地で一泊します。
当時、まだ常泉寺はなく、その時に小早川隆景、加藤清正に命じて寺の建立を命じるのですが、よく見ると秀吉が子供の頃に植えた柊が大きく育っていました。秀吉は自ら竹を添え、それ以来、この柊は幹が衰えても下枝が育ち、現在でも青々とした葉が生い茂っています。
境内にある秀吉の銅像。中村公園の少年時代のものではなく関白になった頃のものでしょうか。
初代・中村勘三郎銅像
戦国時代の豊臣秀吉とは直接関係ないですが、江戸時代の歌舞伎役者である初代・中村勘三郎の銅像が中村公園内に建立されています。この地の出身といわれているからです。
私の感想
中村公園と周辺の見どころをまとめてレビューしみましたが、いかがでしょうか?私の感想は、中村公園を訪れた際に今回紹介した史跡や観光ポイントをまとめて巡るのがオススメだと思います。
なぜかというと、今回紹介したものは全て中村公園を起点に、徒歩数分で巡る事ができるものばかりだからです。全部まとめて巡っても所要時間は1~2時間くらいだと思います。
秀吉清正記念館の特別展や豊国神社で絵馬を奉納したりと、+αの追加時間も考えられますが、おおよその所要時間はこのくらいです。秀吉は大阪では有名人ですが、信長や家康ゆかりの地である愛知県では、あまり人気がある武将ではない気もします。
また秀吉の生誕地の中村公園もそんなに知られていない様な気がしますが、周辺含めて中村公園は歴史ファンが楽しむスポットがたくさんあるので、まだ行った事が無い人は是非、チェックしてみてください。