加藤清正の生誕地!名古屋市中村区の妙行寺のアクセスと私の感想

数多くの戦国武将の中でも、特に人気がある加藤清正は江戸時代から庶民にも知られた武将でした。その清正が生まれた場所が、名古屋市中村区の妙行寺(みょうぎょうじ)です。

■妙行寺の場所の住所■

名古屋市中村区中村町木下屋敷22

妙行寺の地図

虎退治の逸話ができるくらい戦上手の豪傑でもありましたが、築城の名手でもあり、熊本城を築いたことは有名ですが、名古屋城の大天守の石垣も清正が築いたものです。そんな清正が生まれた場所が名古屋市中村区の妙行寺といわれています。

妙行寺の創建については詳しいことは分かっていませんが、(永仁二年)1294頃にはすでに現在とは違う場所にあったみたいです。関ヶ原合戦後の慶長十五年(1610)、清正が名古屋城を築城した時に余材を利用して、自分の生誕地に妙行寺を移築しました。それが現在妙行寺がある場所なんです。

境内に入ると清正生誕地の石碑があります。

そして清正のトレードマークともいえる烏帽子形兜の銅像もあります。私の感想ですが、妙行寺は秀吉生誕地の中村公園を訪れた時はセットで訪れることをオススメしたい史跡だと思います。その理由は近さです。

中村公園から道路を挟んだ場所にあり、徒歩数分くらいの場所にあるので、時間や距離的にも十分一緒に巡る事ができると思います。ただひとつ注意するのは、妙行寺は現在でも普通に運営されているお寺なので、たまに法事に出くわすことがあります。そんな時はゆっくり境内を散策したり、写真を撮る事ができませんが、これは運次第といったカンジでしょうか。

清正の逸話

最後に権力者にもモノを言う清正の豪胆さを示したエピソードを紹介します。加藤清正は豊臣恩顧の大名でしたが、石田三成がキライだったので、関ヶ原合戦時は東軍に味方しました。

合戦後、勝利した家康が諸大名の前で、『こういう状態を「雨降って地固まる」というのだ』と得意げに言いました。諸大名もそのとおりだと皆、うなずきます。しかしその後、清正が一言、『人の心は天気と同じです。いつまた雨が降るのかわかりません』この言葉に家康は清正をじっと見つめ、『そのとおりだ』とうなずいたということです。

つまり清正は『これから後も、いつ、いかなる裏切りが出るかわかりません』という事を天気に例えて言ったのですね。さすがに家康も、それを察したみたいです。

というのも、未だ大坂城には豊臣秀頼が健在で、関ヶ原直後、家康の天下はまだ磐石ではありませんでした。ストレートにいうとカドが立つ。なので天気に言い換えて苦言を放った清正のエピソードです。

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コメント

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