北設楽郡設楽町津具にある信玄抗跡は、甲斐の武田氏が開発した金山といわれています。俗にいう津具金山。ゲームでも信長の野望で三河に金山が出ますが、あれが津具金山です。
津具金山のアクセス
津具金山(信玄抗)への行き方を説明します。基本的に車が良いですね。まず設楽町津具(旧津具村)の津具郵便局近くに下町という信号があります。その信号を左に曲がると県道80号線になるので、その道をまっすぐ進みます。すると左手に橋が見えてきます。
これですね。この橋を左に曲がるのですが、橋の入り口付近をよく見てみると…
町指定史跡・信玄抗という消えかかった看板があります。この看板通りに進みましょう。
ちなみに曲がった先は、町道473号線 中林向山線です。
橋を渡ってまっすぐ進むと、T字の突き当りになるので、ココを右に曲がります。
すると行き止まりの場所が信玄抗入り口です!鉄柵がありますが、これは猪除けの柵みたいで、電気は流れていませんでした。また施錠もしておらず、鎖が巻いてあるだけなので入ることができます。
鉄柵を越えてすぐに信玄抗があるのではなく、そのまま山を左上の方へ登って行きます。よく見ると道も見えるのですが、ほとんど山を直登といった感じでしょうか。登山までとは言いませんが、正直、山城巡りみたいになるので、足元は運動靴やスニーカーなどでシッカリと固めておいた方が良いですね。
これが信玄抗
着きました!ここが信玄抗です。入り口には鉄柵があり、ココは施錠してあるので中に入ることはできません。また入り口には2枚の看板があります。
昭和五一年四月一日指定第一号
元亀三年(1573)の頃より甲州武田信玄の勢力がこの地にも及びました。信玄は津具川に砂金の産することを知り採掘しましたが、この山に近郊脈を発見して、いくつかの坑道を堀ました。この坑道はその一つで総延長は140M程であり、途中枝分かれしています。採掘された鉱石はこの下の古町で精錬したので、当時使用した金摺石が今でも残っています。
武田氏滅亡した後は、織田信長続いて徳川家康が採掘したことが古文書に記録されています。
平成二年八月 設楽町教育委員会
まずは津具村(現在は合併して設楽町:したらちょう)時代の指定文化財の看板。
- 文化財指定年月日:昭和55年4月1日
- 指定番号:史第1号
- 名称:史跡信玄鉱跡
そのほか所有者などが津具村教育委員会の名のもとに書かれています。そして隣には津具金山(信玄抗)の解説が書いてありました。それを要約すると次の通りです。元亀三年(1572)頃、この地に武田信玄の勢力が伸びます。武田氏は津具川に砂金が流れている事を知り、近くに金鉱があることを察知。そしていくつかの鉱山を開発しました。これが津具金山です。
ここにある坑道はそのひとつで、長さは約140mほどあり、途中で枝分かれしています。また採掘された鉱石は、この山のふもとにある古町で精錬され、当時使用した金摺石(かなすりいし)が今でも残っているそうな。ちなみに古文書によると、武田氏の勢力が三河から去ると、織田信長続いて徳川家康が津具金山を採掘した事が記録に残されています。
採掘された金の使い方
戦国時代の武田氏の拠点・甲斐(現在の山梨県)には金鉱山があり、武田氏は採掘を進めていましたが、採掘された金は精錬されて甲州金として使用されていました。この甲州金は当時、お金としてではなく褒美として利用されており、もらった人はそれをもって店に行き米や味噌が買えたワケではありません。
ただ『輝く珍しい石』を貰って喜んでいただけといわれています。ちなみに甲州金の本物が、名古屋市東区の三菱東京ufj銀行貨幣資料館に展示してあります。
この資料館はお金の資料館で、豊臣秀吉の天正大判や織田信長の永楽通宝も展示してあるので、戦国好きの方は近くにある徳川美術館とセットで訪れてみましょう。
意外な城攻めエピソード
武田氏は金鉱を開発する技術がありましたが、金山を掘る職人集団もいたのです。それが金堀衆(かなほりしゅう)という人達です。金堀衆は城攻めにも活躍したエピソードがあります。それは元亀三年(1573)の三方ヶ原合戦で、武田軍が徳川軍を蹴散らした後…
武田信玄は三河野田城を包囲しました。しかし野田城は堅城だったのでなかなか落ちません。そこで信玄は金堀衆を使い、野田城の側面から穴を掘り、井戸の水を抜いてしまったのです。飲み水に困った野田城は降伏し開城。ココから学べる事は、武田氏の城攻めは力攻めや兵糧攻めだけではなく、こうした他の大名家にはない攻め方で城を落としたという事ですね。
私の感想
私の津具金山(信玄抗)の感想ですが、ここは三河に残る貴重な武田氏の史跡なので、武田氏ファンのみならず、戦国好きの方は要チェックの史跡だと思います。しかし所要時間は約20分くらいの史跡なので、ココだけ単品で旧津具村を訪れるのにはちょっと効率が悪いですね。
そこで私の体験談ですが、較的近くにある田峯城そして武節城とセットにするのがオススメです。なぜかというと、これらの城も武田氏ゆかりの城ですし、遺構もシッカリ残っているので、合わせて巡ると城巡りや史跡巡りの満足度もグン!と上がると思います。