新城市作手に残る米福長者の館跡や酒粕を捨てた塚などゆかりの地を散策

新城市作手歴史民俗資料館に伝説の三河三長者のひとり、米福長者の説明があります。

長者の伝説

 平安時代の終わりごろから、地方の豪族の中にも豊かな富をもった長者があらわれます。作手には米福(よねふく)・荒原(あわら)・本宮(ほんぐう)の三長者がおり、中でも一番力の大きかったのが三河三長者の一人でもある米福長者です。屋敷は高里(長者平)にあり、今も一部に土塁跡が見られます。屋敷の中には鍛冶屋(副産物の金屎が発見されている)があり、また酒造りもしていました。酒粕をすてたといわれる八幡様は粕塚と呼ばれています。米福長者は中世における武士の隆盛とともに滅ぼされました。

 天授年間(1375~80)に、現在の群馬県吉井町より作手に来た奥平氏は、米福長者の援助を得て奥三河の豪族になったと言われる

一説によると米福長者が治めていた作手(つくで)の地に関東から奥平(おくだいら)氏がやってきて、長者に保護されたとか。でもその後、奥平氏は力を付けて、米福長者を滅ぼし作手を支配する土豪に成長したともいわれています。

【Q】奥平とは誰?
天正三年(1575)の長篠・設楽原合戦で長篠城を守った奥平貞昌(後の奥平信昌)の奥平氏のこと。もとは作手の土豪で旧額田町にも勢力を広げていた。

現在、この米福長者は伝説上の人物とされてはいますが、作手には米福長者が語り継がれ、ゆかりの地も点在します。そこで米福長者ゆかりの地を散策してまとめてみました。

やかた跡

まずは作手歴史民俗資料館に記載がある米福長者の館跡に行ってみます。すると土塁が残っていました。この土塁は愛知県教育委員会も調査をしており、愛知県中世城館跡調査報告にも載っています。L字形の土塁なのでその内側を見ると国道301号線です。

米福長者の館跡がある場所を南から見てみると高台にあることが分かります。つまり台地上に館があったということ。これはその土地の有力者が館を置く場所によく見られる事例です。その理由は高台は周辺を見渡すことができ、また大雨が降っても浸水しないからです。

粕塚跡

米福長者は平地が広がる作手高原で米を収穫し、酒を作って財を成したとか。その酒粕を捨てた場所は酒粕の山というか塚になり、それがこの八幡社といわれています。

周辺は田んぼですが八幡社は高くなっています。もとは酒粕?

八幡社の中には土塁もありました。これも元は酒粕?

地名

続日本100名城に認定されている古宮城址の北側は長者平(ちょうじゃひら)団地という住宅地になっています。この長者平という地名も米福長者が由来といわれています。

味噌

作手地方では長者味噌という米みそ作られています。2年熟成させると八丁味噌みたいに赤くなります。でも大豆で作る八丁味噌とは違い、長者味噌は米みそなので味は八丁味噌などの豆みそとは違うのです。普通の米みそに比べコクがあり、道の駅・つくで手作り村の五平餅もこの長者味噌が使われているとか。

私の感想

私の感想ですが、城巡りで作手にはよく来ますが、伝説の米福長者ゆかりの地や地名、食べ物が残っているのは地元の人たちに親しまれている証拠だと思いました。また米福長者は奥平氏に下剋上で滅ぼされてしまった土豪だったのかもしれません。

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