愛知、名古屋の城歩きの会・愛知ウォーキング城巡りクラブで日本続100名城に認定されている新城市の古宮城に行った時のこと。古宮城は見どころが多い城址なのですが、近くに興味深い史跡というか、見どころがあります。それが矢作川と豊川の分岐点です。
もとはひとつの川でした
愛知県三河地方は西三河と東三河に別れます。その中で西三河を流れる大河が矢作川(やはぎがわ)。東三河を流れる大河が豊川(とよがわ)です。
※豊川について。地名は『とよかわ』。川の名前は『とよがわ』
城でいうなら?
城でいうと、徳川家康生誕地の岡崎城は西三河で近くを流れるのが矢作川です。また池田輝政が姫路に行く前に城主だったのが豊橋市の吉田城。それぞれ川を堀代わりにし、水運を活かした縄張りになっています。
そして現地
現地案内看板には以下のようにあります。
昔、この地には、作手村で一番広い湿原(大野原湿原)がありました。泥炭層(ピート層)の厚さも他の湿原と比較しても一番厚く、深いところでは4メートルも堆積(たいせき)しています。祠が祭ってある付近にあった橋は水の流れが一定していないため乱橋(みだればし)と呼んでいました。
ここの水は、南流は豊川水系巴川へ北流は矢作川水系巴川へと流れており、両川とも同名の巴川であることから、その昔、相思相愛の男女が親の許しをもらえず、泣き別れたとの悲恋の伝説が残っています。 鴨長明(かものちょうめい)が、この地を詠んだと思われる歌に次の歌があります。
花すすき おほのの原のみだれ橋 秋のこころに たとへてぞ行く
平成8年 作手村
私の感想
私の感想ですが、矢作川と豊川が作手でひとつだったのは驚きでした。その理由は両川ともかなり距離が離れているからです。愛知県でも尾張地方や名古屋に住んでいる方にはよく分からない三河ネタですが、これも興味深いポイントだと思います。
ちなみに古宮城址から、この分水点までの所要時間は徒歩で数分です。城巡りとセットで楽しめるポイントのひとつだと思います。