知多大野城主の佐治氏によって慧可断臂図が奉納された常滑市斎年寺

常滑市の斉年寺は知多大野城主だった佐治氏四代の位牌所です。城巡りしてると城主の菩提寺や位牌所などもお参りすることが多いのですが、常滑市の斎年寺は城主の位牌所以外にも、現在国宝に指定されている慧可断臂図(えかだんぴず)は奉納された寺でもあります。

■斎年寺の場所の住所■

常滑市大野町9丁目139

>>斎年寺の場所の地図

電車アクセスと駐車場

斎年寺の行き方を説明します。まずは電車編。電車でアクセスする時は名鉄常滑線の大野町駅を目指します。駅から斎年寺への所要時間は歩いて約5分です。次に車でアクセスする場合は上記の住所と地図を参考に行ってみましょう。斎年寺の敷地内に駐車場もあります。

山門と総門も価値あり!

斎年寺は、元は大野城内にありました。天正十五年(1587)に大野城が攻められ、翌年に現在地へと移転されたとか。斎年寺の山門と総門は天正十六年(1588)の移転当時のものと伝わります。全て当時のままというワケではなく、いくつかの部分が補修されていますが、門が残っている事自体、貴重だと思います。

そして本堂

本堂は近世の建造物ですが、入り口に佐治家の家紋である丸に九本骨扇がデザインしてありました。佐治氏の位牌所なのでここはポイントです。

そしてだるまさん

本堂は許可を取らないと入ることができません。本尊の隣にあるスペースに国宝・慧可断臂図(えかだんぴず)のパネルが展示してありました。慧可断臂図は室町時代の絵師・雪舟が描いた水墨画です。中国禅宗の開祖・達磨大師に『慧可』(えか)という人物が弟子入りする場面を描いてます。

中国禅宗の開祖・達磨はインドから中国を訪れ、梁の武帝に面会後、少林寺で「面壁九年」と呼ばれる座禅修行に入った。そこに慧可(えか:当時の名は神光)が訪れ弟子入りを願った。しかし達磨は耳を貸さなかった。何度訪ねても変わらず、ある冬の雪の日、慧可は自らの求道心を示すため、刀で左腕を切断した。達磨はこれを受け「達磨安心」と呼ばれる禅問答をし、慧可の弟子入りを認めたといわれる。

慧可断臂図(えかだんぴず)は雪舟没後の天文元年(1532)に大野城主・佐治為貞によって斉年寺に寄贈されました。現在は国宝に指定されており、京都国立博物館に寄託されています。斎年寺にある慧可断臂図はパネルです。

私の感想

なぜ佐治氏が慧可断臂図を斎年寺に奉納できるほどの財力を持っていたのか?という疑問ですが、私の仮説ですが佐治氏は当時、大野湊(みなと:貿易港)を支配しており、そこでの財力で当時珍しかった水墨画を求めることができたのではないかと思います。

私の斎年寺の感想ですが、知多大野城を訪れた際には是非、セットで参拝する事をオススメします。その理由は山門、総門、位牌所、そして慧可断臂図(のパネル)を拝観させて頂けるからです。またアクセスも電車でも車でも行きやすいのも理由のひとつ。一通り参拝、拝観の所要時間は15分くらいです。

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