愛知県常滑市に世界最古の海水浴場といわれる場所があります。それが大野海水浴場です。なぜここが世界最古の海水浴場といわれるのか?今日はそんな大野海水浴場についてのオハナシです。
■大野海水浴場の住所■
常滑市大野海岸1丁目
最初に出てくる歴史とは
まず大野海水浴場が世界最古の海水浴場といわれる根拠が、鴨長明(かものちょうめい:久寿二年(1155)~建保四年(1216))が 詠んだ次の歌です。
【生魚の 御あへもきよし 酒もよし 大野のあゆみ 日数かさねむ】
(魚は新鮮で酒も美味しい。大野に潮湯治に来て、思いのほか長く滞在してしまった)
ここで注目したいのが『あゆみ』という部分で、これは現在の解釈ですと潮湯治という、海水に体を浸して皮膚病などを治す治療法です。ですから現在の海水浴と少し違いますが、江戸時代の終わり名所図会を見ると、潮湯治は治療と娯楽を兼ね備えており、半分は海水浴という娯楽の要素もあったようです。
松平忠吉も訪れた!
大野海水浴場は戦国武将で清洲城主にもなった松平忠吉(徳川家康四男)が訪れたといわれてます。松平忠吉がまだ幼く福松丸という幼名だった頃、兄である徳川秀忠が忠吉を案じ、大野での潮湯治を薦めた書簡が残されています。
かつて甲冑ゲリラライヴで尾張大野を訪れた際、古民家で古文書を拝見させて頂きました。
山下和年氏が古文書を訳されており、内容も分かりやすく説明されていました。ちなみに福松丸(忠吉)は、その後、大野で潮湯治を行ったところ、たちまち完治したとか。この事から戦国時代の頃にはすでに大野の潮湯治が定着していた証拠であるといわれています。
なぜココで潮湯治ができるのか?
ではなぜ大野海水浴場が潮湯治の名所なのか?この理由について医師でもあり内務大臣、外務大臣そして満州鉄道の初代総裁などを歴任した後藤新平は、明治十五年(1882)にまとめた海水効用論で次の様に述べています。
【大野の海水は木曽川、長良川と太平洋の合流地点にあたり、塩分が少なめで潮湯治にぴったり】(大塚英二監修・愛知『地理・地名・地図』の謎)より。この発表により、大野海水浴場は世に知られ、昭和にかけて大いに賑わったそうです。
そんな大野海水浴場はこちら。この写真は11月上旬のものなので海水浴客はいませんが、海の水はキレイでした。ここに松平忠吉が訪れたと思うと、戦国ファンとしても嬉しいです。
また大野海水浴場の近く、同じ常滑市には浅井長政の三女・江が初めて嫁いだ佐治氏の居城・大野城や、お隣の知多市には織田有楽斎が築城をはじめた大草城といった見ごたえがある城があります。それらの城とセットで訪れるのも良いですね。