かつての尾張国である愛知県知多郡東浦町の緒川城は、刈谷城を築く前に水野氏が居城にしていた城で、徳川家康の生母・於大の方が生まれた地でもあります。
■緒川城跡の場所の住所■
多郡東浦町緒川古城9−12
緒川城自体はあまり知られていない城なのですが、水野氏関連の戦国史を調べてみると、尾張国の戦国史の中で、かなり重要な城だった事が分かります。
では具体的にどんな重要なことがあった城なのかピックアップしてまとめてみました。
・刈谷城を築いた水野氏の前身の城
・家康の生母である於大の方が生まれた地
・織田信長が初めて実戦で火縄銃を使った村木砦の戦いのキッカケの城
・水野氏が知多半島統一の拠点とした城
など。
特に村木砦の戦いのキッカケになった城という事は、信長公記にも記載されいるので、緒川城は尾張の戦国史にとって、非常に重要な城だと思います。
では、そんな緒川城は、現在どんな状況なのか?現場に行ってみました!
電車と車で緒川城址への行き方
緒川城址へのアクセス方法を説明します。まずは電車編。電車で緒川城址へアクセスするときは、最寄り駅のJR武豊線・緒川駅を目指します。緒川駅に着いたらここから徒歩で緒川城址を目指します。距離は約1km。徒歩での所要時間は10分前後です。
次に車でのアクセス方法を説明します。緒川城址には駐車場がありません。そこで東浦町の公式サイトを見てみると、緒川城址へ行く際は東浦町役場に車を止めて良いとのこと。だから車でアクセスする時は東浦町役場を目指します。そこから徒歩約5~10分です。
そして城巡り
緒川城の縄張り図について。これを見るといくつかの区画に分かれていたこがよく分かりますね。中央の左よりに緒川城があり、家臣団の屋敷、そして高藪城、羽城という別の城もあったみたいです。
しかし現在は住宅地として開発が進み、その住宅地の一角に土塁を残した公園があるのみです。看板と石碑があるだけでも、城巡りの基準になりますね。
土塁と同じくチェックしておきたいのが、傳通院(伝通院)於大出生地の石碑。徳川家康の生母の事です。
於大の方は松平氏に嫁ぎましたが、実家の水野氏が織田と手を結んだため、松平家から離縁されてしまいます。その後、坂部城(阿久比町)の久松氏と再婚し、戦国の世を生きた女性です。
ちなみに現在の東浦町では、於大の方は歴史の有名人というかヒロインになっており、於大の方を主役にした於大祭りが毎年4月に開催されます。
石碑の後ろの土盛りは、かつて緒川城を取り巻いていた土塁です。現在でも約5m前後の高さがあります。緒川城を攻める時、これを甲冑着て登れといわれてもかなり困難です。
こちらは公園の北側。かつて緒川城の北側には家臣団の屋敷群がありました。現在でも屋敷の地名が残っています。
高低差もチェックします!緒川城はよく見ると山の中腹みたいな場所にあり、かつて海があった東に向けて低くなっています。現在も緒川城の東はガクンと下がっており、西に向けて高くなっている高低差を実感できます。たぶん戦国時代は崖だったのでしょう。
緒川城の御城印
緒川城の御城印は東浦町郷土資料館で販売しています。1枚300円です。東浦町郷土資料館は緒川城址から車で5分ほどの所にあります。
セットにできる史跡
あとチェックしておきたい周辺の城や史跡ですが、同じ町内にある村木砦のほかに、境川の向こうには刈谷城があります。現在は城址公園として整備されていますし、車で約15分くらいの場所なので、セットで巡る事をオススメします。
コメント
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