徳川家康腰掛石が残る常滑市正住院は伊賀越え上陸候補地のひとつ

常滑市正住院は天正十年(1582)の本能寺の変が起こった時、徳川家康一行が伊賀越えで上陸した場所といわれている寺院です。

>>正住院の地図

【現地案内看板】

徳川家康公腰掛けの石 天正十年(1582)六月二日、徳川家康公は酒井への遊覧を終え、織田信長公への挨拶のため京都へ向かっていました。そこに信長公が明智光秀によって殺害される知らせがが届きます。

家康公は三河へ帰り軍勢を整えるため、伊賀を越え、白子の浜へ出て、船で伊勢湾を渡りました。家康公は、正住院の海岸に面した裏門より寺内に入り、ここで休憩した後、庄屋八兵衛に当寺の本寺、半田市成岩・常楽寺まで案内させ、無事三河に帰られました。

徳川家康腰掛石は本堂裏、寺の西側においてあり看板もあります。

近くの常滑街道

また正住院の東には江戸時代に名古屋~師崎(南知多町)を結んだ常滑街道が通っています。江戸時代に整備された街道ですが、ゼロから作ったのではなく、もとあったなにかの街道を整備して常滑街道を作ったのでしょう。

私の感想ですが、徳川家康の伊賀越時の上陸地は複数あります。ここも候補地のひとつなので場所をチェックしておくといろんな上陸説、上陸ルートを割り出す時に役に立つと思います。

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