常滑市正住院は天正十年(1582)の本能寺の変が起こった時、徳川家康一行が伊賀越えで上陸した場所といわれている寺院です。
【現地案内看板】
家康公は三河へ帰り軍勢を整えるため、伊賀を越え、白子の浜へ出て、船で伊勢湾を渡りました。家康公は、正住院の海岸に面した裏門より寺内に入り、ここで休憩した後、庄屋八兵衛に当寺の本寺、半田市成岩・常楽寺まで案内させ、無事三河に帰られました。
徳川家康腰掛石は本堂裏、寺の西側においてあり看板もあります。
近くの常滑街道
愛知県半田市の #中部国際空港 #セントレア の近くにある #正住院は、#徳川家康 が #伊賀越え で上陸し休息した地といわれています。家康一行はここから現在の半田市に向かったそうな。正住院の前を通る #常滑街道 は家康たちが通った旧街道なのかも。 pic.twitter.com/vBJpVXQ51K
— 愛知戦国史跡ナビゲ-タ-・みかわのひで (@mikawanohide) August 23, 2024
また正住院の東には江戸時代に名古屋~師崎(南知多町)を結んだ常滑街道が通っています。江戸時代に整備された街道ですが、ゼロから作ったのではなく、もとあったなにかの街道を整備して常滑街道を作ったのでしょう。
私の感想ですが、徳川家康の伊賀越時の上陸地は複数あります。ここも候補地のひとつなので場所をチェックしておくといろんな上陸説、上陸ルートを割り出す時に役に立つと思います。