津島神社に寄進された本殿、楼門、南門と織田家の経済を支えた津島湊跡

津島市津島神社の創建は古く、伝承によればでは欽明天皇元年(540年)といわれています。戦国時代も尾張国内ではもちろん、近隣諸国にも影響があった神社のひとつです。

>>津島神社公式サイト

津島神社は寄進された建物も多く、戦国時代や江戸時代に興味がある人は参拝とセットで楽しむ事ができます。

豊臣秀頼寄進の南門

南門は慶長三年(1598)豊臣秀頼によって寄進されました。これは父・豊臣秀吉の病が治るよう平癒祈願でした。愛知県指定文化財。

豊臣秀吉寄進の楼門

楼門(ろうもん)は天正十九年(1591)に豊臣秀吉によって寄進されたものです。重要文化財。

松平忠吉の妻が寄進した本殿

本殿は慶長十年(1605)に松平忠吉の妻・政子(清泉院)が寄進しました。彼女は徳川四天王のひとり井伊直政の娘です。慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いで鉄砲傷を負った忠吉は、その後体調を悪くしており、慶長九年(1604)に発病したので、病気の回復を祈願しての寄進だったのでしょう。

本殿の上を見ると織田信長の織田家の家紋と同じ木瓜(もっこう)を発見!津島神社の御神紋である木瓜紋は、京都八坂神社を始め「須佐之男命」(すさのおのみこと)をお祀りする多くのお社が御神紋としています。

ちなみに織田家が木瓜紋を使っている理由は、織田家の先祖は越前(福井県)二の宮の劔神社(つるぎじんじゃ)の神官といわれており、劔神社も「須佐之男命」(すさのおのみこと)をお祀りしていることから、木瓜が織田家の家紋になったと考えられています。

津島湊跡

津島神社にはもうひとつの特徴がありました。それが川湊(みなと:港)があったことです。近隣との貿易(ビジネス)で利益を上げており、津島湊を押さえていたのが勝幡城を拠点にしていた織田家なのです。つまり織田家の経済基盤を支えていたひとつが、この津島湊です。

現地看板にある、江戸時代のガイドブック・尾張名所図会(おわりめいしょずえ)に描かれた津島湊の様子。

今では津島神社を含めた津島湊跡、天王川公園は内陸というイメージがありますが、明治時代の古地図を見ると佐屋川につながっており、そのまま伊勢湾に船で行けたことがわかります。

天王川公園は大きな池になっており、もうここから船で伊勢湾に出ることはできません。でもかつてはこの大きな池にも商船がたくさん来航していたのでしょう。

所要時間と私の感想

津島神社の所要時間は周辺の津島街道や町並みなど、じっくり歩いて3~4時間、今回紹介した神社と天王川公園、津島湊跡だと1時間くらいです。私の感想ですが津島神社は戦国時代にもゆかりが深いので、戦国時代が好きな方は特に楽しむことができると思います。

またお土産は津島の名物・あかだとくつわがオススメ。その理由は昔から津島に伝わるお菓子だからです。一度チェックしてみて下さい。

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