津島市北町の雲居寺は織田信長の家臣・服部一忠の墓所があった寺院で菩提寺です。
■雲居寺の住所■
津島市北町32
服部一忠と言っても『誰?』という感じですが、服部小平太と聞けばピン!とくる人も多いのではないでしょうか?桶狭間合戦で今川義元を最初に攻撃した人です。
桶狭間合戦では有名人
永禄三年(1560)の桶狭間合戦の時、嵐の中を織田軍が、おけはざま山の麓まで進軍。空が晴れてから今川軍本陣を急襲しました。その時、服部小平太(信長公記では服部春安)が今川義元に襲いかかりました。その時の様子を信長公記では次のように記録しています。
服部春安は義元に打ちかかり、膝口を切られて倒れ伏す。(現代語訳 信長公記)
今川義元の一番槍を付けたものの、反撃に遭い、逆に膝(ひざ)を切られて倒れてしまいます。その後、毛利良勝(新介)が義元を斬り伏せて首を取りました。
今川義元の首は取ることはできませんでしたが、義元を最初に攻撃した武将ということで、桶狭間古戦場がある豊明市では顕彰されている人物です。
菩提寺は津島市
そんな服部小平太の墓所(菩提寺)が津島市の雲居寺(うんごうじ)です。
※雲居寺の読みは うんごうじ
雲居寺は享禄元年(1529)に服部伊賀守家継の創建と伝わります。この服部家継については詳しいことは分かっていませんが、服部春安(小平太)の先祖なのかもしれません。雲居寺は明治24年(1891)の濃尾大地震で倒壊しましたが、その後、再建されました。
服部小平太はその後…
さて桶狭間の戦いで今川義元に一番槍を付けた服部小平太でしたが、その後の戦功はパッとしません。本能寺の変は羽柴秀吉に仕え、小田原攻めの戦功で天正十九年(1591)伊勢国に3万5千石を与えられ松阪城主になりました。しかし文禄四年(1595)に豊臣秀次失脚に連座して所領は没収。上杉景勝に預けられて、切腹を命じられました。
私の感想ですが、桶狭間合戦では必ずと言っていいほど名前が出る武将・服部小平太ですが、その後の働きがパッとしなかったのは意外でした。しかし生誕地といわれる津島市に菩提寺もあるので、ホッと安らかに眠っているのではと思います。
濃尾地震後、墓所もよく分からなくなったとのことですが、雲居寺は桶狭間合戦で今川義元に一番槍を付けた武将の菩提寺です。津島神社とセットで参拝してみましょう。