水野藤助正成と池田恒興ゆかりの東海市平島城址

東海市荒尾町金山にあつた平島城址は、水野成政と池田恒興ゆかりの城です。

>>平島城址の地図

【現地看板より】

平島城跡(荒尾町金山)

平島城は『尾張志』、『張州府志』によれば、「水野藤助之(これ)に居る」とあるが、何時、誰によって築城されたのかは定かではない。また『上野町史』によると、小牧長久手の戦いで秀吉方として参戦して死亡した池田恒興(信輝・勝三郎、1536~84)が居城したとされ、恒興は荒尾善次の娘を妻として池田輝政(1564~1613)をもうけている。

東海市教育委員会 東海市文化財表示板三九号 

東海市教育委員会の案内看板にある水野藤助は成政といい、初代刈谷城主・水野忠政(水野信元、於大の方の父)の兄です。『寛政譜』(かんせいふ)によると、水野藤助成政は大永二年(1522)九月十六日卒と記載されています。その後、廃城となっていた平島城に池田恒興が入ったのでしょう。

【Q】寛政譜とは
正式には『寛政重修諸家譜』(かんせいちょうしゅうしょかふ)。江戸時代の寛政年間(1789~1801)に江戸幕府が編修した大名や旗本の家譜集。1530巻もあり完成したのは文化九年(1812)。『諸家譜』とも略称される。

池田恒興は鎌倉時代から現在の東海市周辺に勢力を持っていた荒尾氏の娘を妻に迎え、木田城主になっているので、平島城も領地内の城のひとつだったのでしょう。

池田輝政とは

また看板にある池田輝政は池田恒興の次男。荒尾氏に養子に入っており、そのまま荒尾氏を継ぐ予定でしたが、天正十二年(1584)の小牧・長久手の戦いで父と兄が戦死。養子縁組を解消して池田家に戻り家督を継ぎます。

その後、は吉田城主(豊橋市)となり関ケ原合戦には東軍として参戦。戦後、播磨姫路に転封して今に残る国宝で世界遺産の姫路城天守を築きます。

私の感想

ところで平島城址ですが現在は住宅地になっており、堀や土塁など城の遺構と思われるものは何も残っていません。平島城は遺構が残っていないものの、木田城と共に池田氏が城主時代のゆかりの城のひとつなので、池田家の歴史を知るうえで押さえておきたい城のひとつだと思いました。

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