東海市大田町城山の木田城址はこの地の土豪・荒尾氏と池田恒興、池田輝政が城主となった城跡です。現在では住宅地になっています。
池田恒興の尾張時代の城跡だった木田城。宅地開発が進んで限られた遺構しか残っていませんが、城巡りとして見るべきポイントはいくつかあります。
まずはこの看板
まずは天尾神社入口にある木田城址の看板をチェックしてみます。これには木田城が築城された時からの歴史や城主だった荒尾氏のこと、また荒尾氏と婚姻関係を結んだ池田恒興、そしてその息子の輝政のことについて書かれています。
またこの看板には東海市教育委員会が想定した木田城の縄張り図と遺構が記載されているので、限られた範囲ではありますがそれをまとめてチェックしてみましょう。
曲輪
本来の木田城の場所のほかにいくつかの曲輪の想定地があります。天尾神社もひとつです。舌状の長細い台地の中心にあります。
堀
天尾神社が曲輪跡と想定されその北の民家も曲輪跡と考えられている。その現地に行くと道になっているのですが、くぼんだ道なので堀跡に見えて仕方がありません。曲輪間の堀なのでしょうか?
堀切なのでは
東海市教育委員会の縄張りの考え方ですと、木田城は現在民家になっているのですが、道を挟んだ場所が民家と同じくらいに高くなっています。鎌倉時代の城でいうと切通(きりとおし)という表現なのですが、尾根沿い侵入してくる敵を遮断する堀切(ほりきり)に見えます。現状は道路です。
土塁?
東海市教育委員会の想定による残存土塁と考えられる遺構。でもこれが土塁とするならば、このすぐ側も曲輪ということ。またこの土塁の近くに堀が無いことから、どこからもってきた土なのか?という疑問もあります。
所要時間と私の感想
木田城の所要時間は天尾神社から縄張り図の範囲をぐるっとまわって20分ほどでした。私の感想ですが、木田城の遺構と考えられるものも微妙で、もう少し周らないと全容はよくわからないというのが率直な感想です。
あと注意点ですが木田城の多くは民家になっているので、許可を得てから立ち入るなど配慮が必要だと思いました。